Open Your Mind, Open Your Heart

私が消えるとき

flower生きることが恥ずかしくて、消えてしまいたい。

自分がやっていることが正しいのか間違っているのか分からない。

いつも人のことばにふりまわされてしまう。

 

私ってどうしてこうなんだろう?

生きるってどういうことなんだろう?

 

そう、思うとき、消えてしまいたいとき、消えてしまえばいいんだと、この間のまつかわちえちゃんとのセッションで気づかせてもらいました。

 

そうか。消えたいのなら消えればいいのか。

そんな長い間の望みをどうして私は拒否してきたのだろう。

 

それはやはり、自分が消えてしまうことが嫌だったから。

「こんな人生もう嫌だ。」と思いながらも、生きたかったから。

 

自分の見方を持ち続けていたかったから。あきらめられなかったから。

「こんな私のままでも生きていけるはずなのに、そうさせてくれない周りが悪い」と思っていたから。

 

自分のことを消すって、身体を物理的に消すことではなくてね。

 

「自分ってこんな人間だ!」って信じていて苦しんでいて嘆いている私のアイデンティティの部分。それが自分でなくても大丈夫なんだと知ることです。

 

もっと言えば「この人ってこういう人間だ!」という思考も全部全部なくていいとあきらめることかもしれません。怖ーい!

 

 

消されたくない、消されるはずがない、というかこれ消されてしまったら私が私でなくなってしまう、そんなおそれがあったけれど、その子を遠い遠いところに連れて行って休ませてあげたら、なんだか不思議とものすごく平安が訪れました。

 

「自我」、「アイデンティティ」、「私を私たらしめているもの」、「私の過去」、「私の性格」、「私の人生」、「私の人格」。それらって、本当に私ではなかったのだと思考ではない部分で、納得しました。

 

これもね、ワークを続けてきたからだな、と思います。(もっちろん、ちえちゃんのセッションが素晴らしかったからなのですが♪)

今までは「私の正しさ」をずっと主張し続けてきていて、決して自分が間違っているなんて思いたくなかった。

 

だから「私悪くないもんね。私犠牲者だもんね。私かわいそうなんだもんね。」って言い続けていたかったんです。傷ついていたと信じていたし、悲しみがあったし、癒されていなかったし。

 

でもね、そうやって捉えることが実は、まだ小さな枠で自分や周りを見ていたんだなと思います。

 

「自分が絶対に犠牲者だ」という思考を持ち続けたまま、ワークをするとこんな感じになります。

 

「すべては自分の思考でしょう?だから相手のことを責めていても結局自分に返ってくる。例えば私のパートナーに対して私が怒っているのは結局は私の問題だから、結局は全ては自分の思考のせいってことでしょう?そうしたらどんなにパートナーが自分にひどいことをしても、それを許して私はこの関係から逃れられないってこと?どういうことなの?」これは今日、私のワークの友人がシェアしてくれた彼女の生の今の苦しみです。

 

「私は傷つけられた。私は犠牲者で間違っていない。」

 

それは本当なのか、ものすごく問いかけたくない思考です。絶対に、そうだと信じていたいものです。

 

 

でも、そこを問いかけないままのワークは、本当のところのワークになっていないんだなと思います。(でも、人には順番があるのでね。その時が来るときでね❤)

 

 

私たちが最も手放すのを恐れているアイデンティティは「犠牲者でかわいそうな私」とか「ダメで惨めな私」とかマイナスイメージの私なのかもしれないですね。

 

 

でも、「犠牲者でかわいそうな私」とか「ダメで惨めな私」を手放すのではなく、そう自分を見ている自分の部分を遠くにちょっと置いてみるだけの話でした。なーんだ。夢を見ている人が消えると、夢も消えるのか。

 

 

まつかわちえちゃんのセッション、とても優しく包んでもらえますよ❤

とても信頼しているセラピストさんです。

ちえちゃんのセッションはこちら☆

 

 

 

吉田あきのセッションについてはこちらをお読みください。

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