愛があるのが当然

今日新潟の素敵でキュートな女性から手作りのお米を頂きました❤
一緒に自家製の三年ものの梅干しちゃんも贈ってくれました。

自慢のお米~❤

先日の子宮筋腫騒ぎから、食べるものをより自然に近いものに、より昔ながらの食べ方に戻していて、その流れでこうやって自然と、身体と、生命と向き合うことはとても神秘的なことだなと思っていたところに、彼女が自然な形でのお米作りや暮らし方を実践していると聞いて、本当に素敵だな~と思いました。私もそんな生活をしたいという思いが湧いています。

大切に育ててくださったお米、分けてくださって本当に嬉しいです。美味しくいただきたいです。ありがとうございます❤

 

先日、久しぶりにキネシオロジーのセッションを受けました。大好きなお友達から。

その時に、彼女が「あきちゃん、『ごまかし』から何かピンとくることある?」と聞かれました。その時に、思ったのが、全てを自分のせいにすることで色々なことを「ごまかして」きたということでした。

人が不幸なのも私のせい、相手が誤解をしたのも私のせい、その人が怒るということを選んだのも私のせい、全部全部私がちゃんとしていれば、ふせげるはずのことだったのに、と私はずっとそう信じて生きてきたのだということに、それがあまりにも自然だったので気づいていませんでした。

 

「じゃぁ、あきちゃん、この『ごまかし』の状態からどこに行きたい?」と聞かれた時、私の頭はパニックでした。
どこへでも、どんな状態へも行きたいところを言っていいと言われているのに、ことばが出てこないんです。私の頭の中にそれがないように思えたから。

彼女の助けを借りながら、話して話して辿り着いたのが、「愛があるのが当然」という場所でした。

その言葉を聞いた途端に、「ああ、本当にそうだ。そこに行きたい。」と思いました。

 

すごくパワフルで愛のあるセッションを終え、私の周りに愛がたくさんすでにあったこと、愛が当然のようにあったことをリマインドしてくれるような出来事がたくさん起きています。今回のお米ちゃんの贈りものもそのひとつです。

 

なんというか、元々そこにあったのに、私が「絶対にないもんね!!!」と拒絶して見ないでいたものたちが、見えるようになった感じ。ずっとそこにいたのに、見えていなかった、もしくは見ないようにしていた私に向けられている優しさや愛にようやく気づけるように、受け取れるようになった感じです。

心がこわくて拗ねていたんです。どうせ、来ないよ、私には、って。

 

早速梅干しちゃんのおにぎり作りました❤美味しかった!お米も楽しみです~。

愛は最初からいつもたくさん私に注がれていたようです。愛があるのが当然。それは傲慢な感じじゃなくて、それが私たちの自然な姿なのかもしれないなと思います。

ケイティもいつも愛が私たちの自然な姿と言っています。私もそう思います。防御や猜疑心がないと、やさしさがストレートに心に沁みます。

 

愛をありがとう❤

 

吉田あき


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