過食嘔吐と「私はダメだ」その9

前回の続きです。

これまでの記事はこちらから。
過食嘔吐と「私はダメだ」その1
過食嘔吐と「私はダメだ」その2
過食嘔吐と「私はダメだ」その3
過食嘔吐と「私はダメだ」その4
過食嘔吐と「私はダメだ」その5
過食嘔吐と「私はダメだ」その6
過食嘔吐と「私はダメだ」その7
過食嘔吐と「私はダメだ」その8

 

今日は置き換えを体験しましょう。

 

置き換えとは何でしょうか?

置き換えは、最初の文章を色々な方法でひっくりかえしてみて、さらに、その置き換えた文章が、もしかすると最初の文章と同じく、もしくはそれ以上に正しいかもしれないことを探求していくプロセスです。

 

 

では、試してみましょう。

「○○さんは私のことを嘘つきだと思った。」
これが元にある私の思考です。

○○さんが私のことをどう思っているのか、まるで知っているかのようにそう信じています。

 

これをまずは、「私は、私のことを嘘つきだと思った。」とひっくり返してみましょう。
こうすることで、○○さんが私のことを「嘘つきだ」と思ったかもしれない同じ時に、実は「自分が」自分のことを嘘つきだと思っていなかったか?を見ていきます。

 

では、皆さんも前回の、自分がばれないだろうと思って嘘をついたことが、相手にどうもばれてしまったかもしれなくて、いたたまれない気分になっている場所に戻ってください。

前回の記事を読んでいない方はまずはそちらを読んでみてくださいね。
4つの質問

 

それではその場所に戻って、その置き換えた文章が、真実味を持つ、具体的な例を3つ挙げます。

ここでも、頭ごなしに「そんな訳ないじゃないか。」と決めつけずに、オープンになってその置き換えを聞いた時に、どう思うか、瞑想をしながら、自分の中に尋ねていきます。

 

 

その場所で、相手ではなく、「自分が、自分のことを嘘つきだと思った」と聞いた時に、どう感じますか?
その場面で、それが本当かもしれない例をみつけられますか?
じっくりと座ってその答えが現れるのを待ってください。
時間がかかっても大丈夫です。ゆっくりと時間を取ってみてください。

 

 

 

 

では私の例を挙げてみましょう。

  • これが事実。実際に嘘を付いたし、そのことを自分でも自覚している。それを隠そうとするから混乱するだけ。
  • この文章の方が真実味がある。○○さんにばれるより前に、嘘をついていることを恥ずかしいと思っている自分がいた。
  • ○○さんは何も言っていない。私がずっと頭の中で「嘘つき、嘘つき」と自分を責めているだけ。それが苦しくて、○○さんもきっと自分を責めているに違いないとすり替えた。

 

相手が自分にしていると信じてきたことを、実は自分が自分にしていたということを認めることは勇気のいることです。
自分を責めずに、ゆっくりと真実と向かい合ってみましょう。

 

 

 

 

では、他の置き換えもしてみましょう。○○さんと私の立場を逆にしてみます。

「私は○○さんのことを嘘つきだと思った。」

今まで、○○さんが私のことをそう思っているということばかりに気を取られていました。しかし、同時に自分も○○さんのことを嘘つきと思っていなかったでしょうか?これも、先ほどの場面に戻り、自分の中からその例が浮かんでくるのを待ちましょう。

 

 

 

 

 

私の例だと、

「私は○○さんのことを嘘つきだと思った。」

  • 「私に『あれどうなったの?』と聞いていたくせに、きっと私以外の人に聞いたんだ!ひどい。私以外の人に勝手に聞くなんて。私さえ黙っていたらばれないと思ったのに。」と勝手に、私の中で○○さんは他の人には聞いてはいけないという約束事を決めていて、それが破られたことを私は怒っていた。
  • 「私のことを嫌いになってはいけない。」という約束事を勝手に頭の中で○○さんに押し付けていて、嘘がばれた時の○○さんの顔を見た時に、「ひどい!私のことを嫌いになるなんて!嘘つき!」と思っていた。
  • 「この人はやさしいふりをしていたけど、こんな些細なことで人に失望する人なんだ。がっかり。」と勝手に○○さんに期待していた優しい人のイメージを裏切られて嘘つかれた気になっていた。

 

 

「私は○○さんを嘘つきだと思った。」その例が出てくると、自分の中の意識していなかった部分が出てきて、謙虚になれます。私も同じことしてました。勝手に怒って勝手に失望してました。ごめんなさいと。

 

皆さんの場合はどうでしたか?どんな例が出てきましたか?

 

 

 

 

 

では、他の置き換えもしてみましょう。意味をまるっきり反対にしてみましょう。

「○○さんは私のことを嘘つきだと思わなかった。」

きっと私のことを嘘つきだと思ったに違いないと信じているときに、実はそうではなかったかもとみていく勇気のいる置き換えです。じっくりとこの文章が、もしかすると実は本当かもしれない理由をみつけていってみてください。

 

 

 

 

私の例を紹介します。

  • ○○さんは私に「お前、嘘つきだな」なんて言ってこなかった。
  • ○○さんに確かめていない。だから確実ではない。「お腹すいたな」と思っているかもしれない。
  • ○○さんは、そのことを知ったかもしれないけれど、その結果、私のことをどう思ったかは私は本当に知ることが出来ない。

 

 

 

このように、よく事実を見ていくと、どうですか?

 

 

「○○さんが自分のことを嘘つきだと思った」という思考を信じ続けることは出来ますか?

 

 

 

もしここで、まだその思考が真実だとしか思えないのだとしたら、まだ深く探求が出来ていないのでしょう。もちろん、それもOKです。

でも、ほんの少しでも真実を知ると、先ほどまで絶対の真実だったことが、少し違って聞こえてきませんか?

 

 

 

こうやって一つ一つ、探求をしていくのが、バイロン・ケイティのワークです。
頭をやわらかく、オープンに向き合っていく必要があります。
決して楽なプロセスではありません。エゴは泣いて叫ぶでしょう。「私は絶対に間違っていないのに!」と。
それでも、そのエゴを超えたところで、自分が本当は知っていた真実に巡り合えると、心がよろこびます。ほっとします。

 

 

先ほどの、「私は私を嘘つきだと思っている」の例で、そうだった、私は最初から自分を嘘つきだと思っていたのだった、と気付いた時、私はほっとしました。
だったらばれた時に、それを隠さず、「そうなんです。ばれると恥ずかしいと思い嘘を付いていました。」と自分の真実(嘘をついている私)と、相手に見せる自分を一緒に出来る感じがしました。

 

 

自分の中で、次回同じようなことが起きた時に、はたして私は嘘をつくかな?そして例えば嘘をついたとして、それがばれた時に、それでもそれを隠し続けるかな?と楽しみになりました。

 

 

バイロン・ケイティのワークは「ワーク(一仕事)」と言われる位ですから、簡単なプロセスではありません
でも、だからこその効果は驚くほどのものです。

これがしつこく信じ続けている思考にワークを使って探求していくことをお勧めしたい理由です。

私が身を持って、その効果を体験しているので、自信を持ってお勧めできます。

 

 

では次回に続きます。おそらく最終回です♪

 

 


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