理解を持って思考を受け入れる、それがワーク

頭に何度も現れてくるフレーズ

 

最近、ケイティのこのことばが何度も何度も浮かんできます。

When mind is met with understanding…

様々な場面で彼女がこのフレーズを言っているのを聞いたことがあります。

 

もっと響きがきれいな訳がありそうですが、あえて直訳するとこんな感じです。

「マインド(思考)が理解を持って受け入れられる時…」

 

ニョキニョキニョキ

英語がネイティブではないからか、この意味を分かっているつもりになっていた為か、意味が良く分からなかったからか、はたまた私の注意は他のところにいっていたからか、私の中ではいつもなんとなく聞き流していたフレーズでした。

でもこのフレーズがここのところ数カ月、何度も何度も私の頭に現れるようになりました。

 

 

バイロン・ケイティの著書、「ザ・ワーク」の中で、このフレーズはこのように書かれています。

“Once a painful concept is met with understanding, the next time it appears you may find it interesting.   What used to be the nightmare is now just interesting.  The next time it appears, you may find it funny.  The next time you may not even notice it.  This is the power of loving what is.  ”

Byron Katie, Loving What Is

 

日本語の訳は「ザ・ワーク」の第1章37ページにありますが、ここでは私が理解した直訳風に、私が訳してみます。

「一旦、痛みをもたらす思考が理解と共に受け入れられると、次にそれが現れた時、あなたはその思考を興味深いと思うかもしれません。かつて悪夢だったことが今は興味深いのです。次にそれが現れた時、あなたはそれを面白く感じるかもしれません。次にそれが現れた時、もしかすると全く気づきもしないかもしれません。これが、あるがままを愛することのもつ力です。」

 

 

先ほども書いたように、最初にこのことばを聞いた時、太字のところよりも、後の部分に興味が行ってしまい、太字の部分にあまり注意が向いていませんでした。

でも、日々を経てこの部分はワークをする際のとても大切な部分だな、と感じるようになりました。

だから今日はこのことを皆さんにお伝えしたくて、この記事を書くことにしました。

 

 

私の思考は悪者なの?

 

ワークって、思考を問いかけるじゃないですか、「それは本当?」って。
そうすると、その思考を否定しているようにも聞こえる時もあるものです。

 

特に、自分にとってその思考が苦しみをもたらす度合いが強ければ強いほど、そして、その思考が真実にしか聞こえず、身体中で反応しているような時、「それは本当でしょうか?」と聞かれると、「あいたたた!問いかけないで!」と抵抗したくなります。
その思考を持っている自分が否定され、非難されているような気がするからです。

 

私はよくワークショップで、「ワークって優しいんですよ。」とお話しするのですが、「信じられない!」という表情に会うこともよくあります。

 

そんな時、上のケイティのことばを思い出してみてください。

「マインド(思考)が、理解を持って受け入れられること」

このプロセスがワークなのだと。

 

 

あるワークの例をご紹介しましょう。

彼女は、旦那さんとのやりとりで、なんだかもや~っと嫌な感じを感じていました。

でも、それが何故なのか分からなかったので、ジャッジメント・ワークシートを書く時に、旦那さんの何が本当に嫌だったのか時間をとってよーくよーくみつけてみることにしました。

しばらく時間を取って見続けた後、彼女は「旦那さんが自分の言ったことをいつも聞いていないこと」が嫌だったことに気づくことが出来ました。

(ちなみにジャッジメント・ワークシートを書く時は、このプロセスとても大切です。頭に浮かんだ最初の理由に飛びつかないで、いくつもいくつも自分がひっかかっているのは何なのか、書き出してみることをお勧めします。私のワークショップ、個人セッションではこの部分をとても大切にしています。)

 

問いかけをしていると、「彼は私の言ったことをいつも聞いていない」と信じるとすごく腹が立つけど、その怒りを自分が感じないようにしていたことに彼女は気づきました。

腹が立ちそうになったら、一瞬のうちに自分の苛立ちを上手にコントロールして、「どうせ言っても仕方ないしね。」と感じないようにしていたそうです。

 

これって、私たちがよくやっているコーピングメカニズムですよね。

特に、感情的になりやすい大人のそばで育った子供たちは、自分の怒りを感じず、なかったことにして表面的には大人の言う通りに行動する術をどこかで身につけていますよね。もしも自分が怒りを表すともっと嫌な目にあうので、瞬時にその感情を隠してしまう。すると自分でも、そこに本当は怒りがあること、そして怒りを生む思考があることに気づけなくなってしまうんです。

 

だから、彼女はもや~っと嫌な感じは感じていたけれど、そこに苛立ちがあったこと、それは「彼が自分の話を聞いていない」と信じているからだということに気づくことが出来ないでいたのです。

 

ワークのプロセスのひとつにジャッジメント・ワークシートを書くことがあります。
ここは、自分でも気づいていない思考をじっくりとみつけてあげる場所なのです。

問いかけをしていくうちに、彼女は本当は自分は怒っていたこと、だけどそれを感じないようにしていたことに気づくことが出来ました。

 

これが、思考が理解を持って受け入れられることじゃないかと思います。

1)そこに存在していることさえも気づかれなかった思考がそこに存在していたことに気づき、そして2)その思考があると自分はイライラすることに気づき、3)問いかけの中で、それは何故かというと自分は細心の注意を払って努力していることを、旦那さんは全く努力していなかったからだということに気づいたので、

 

次に、またもや~と嫌な感じがしたときに、

 

「お。これはイライラだ。」「お。私はまた彼が努力していないことにイラッときているんだ。」「そしてイラッとすると私は感じないようにする傾向があるんだった。」と今回の問いかけの中で自分で気づいた「理解」を持って、自分のマインドと向き合うことが出来るようになります。
ちょっと自分のその傾向が面白く感じられるかもしれません。「お。またやってるな。」と。

 

思考は急に消えることなく、しばらく現れ続けるでしょう。

でも、この思考に関する「理解」があると、もう思考にふりまわされたり、恐怖のために考えないようにしたり、感情を押し殺したりする必要がなくなります。

 

暗闇で姿の見えない巨大なモンスターのように見えていたものが、明りをつけてみたらただの可愛いぬいぐるみだったみたいなことです。

 

この思考を持っている自分が怖い、感情的に反応してしまう自分が怖い、感じてはいけない、思考に気づいてはいけない、と抵抗していた自分が、

理解を持ってその思考や感情と向き合うと、なんて可愛くて、無邪気で、愛おしいのだろうと思えるようになる感じ、それがワークなのです。

 

だから「それは本当でしょうか?」と問いかける時、思考を悪者のように取り扱い、尋問するのではなく、

「どうしてそう思うの?」「それって本当にこわいことかな?」ってやさしく、理解をもって、聞いてあげてほしいのです。

 

 

ワークは、思考を理解を持って受け入れるプロセスだと、私の理解が追いついたから、ケイティのことばが響くようになったのかもしれませんね。

 

Enjoy The Work!

吉田あき


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