Open Your Mind, Open Your Heart

吉田あきのブログ

理解を持って思考を受け入れる、それがワーク

頭に何度も現れてくるフレーズ

 

最近、ケイティのこのことばが何度も何度も浮かんできます。

When mind is met with understanding…

様々な場面で彼女がこのフレーズを言っているのを聞いたことがあります。

 

もっと響きがきれいな訳がありそうですが、あえて直訳するとこんな感じです。

「マインド(思考)が理解を持って受け入れられる時…」

 

ニョキニョキニョキ

英語がネイティブではないからか、この意味を分かっているつもりになっていた為か、意味が良く分からなかったからか、はたまた私の注意は他のところにいっていたからか、私の中ではいつもなんとなく聞き流していたフレーズでした。

でもこのフレーズがここのところ数カ月、何度も何度も私の頭に現れるようになりました。

 

 

バイロン・ケイティの著書、「ザ・ワーク」の中で、このフレーズはこのように書かれています。

“Once a painful concept is met with understanding, the next time it appears you may find it interesting.   What used to be the nightmare is now just interesting.  The next time it appears, you may find it funny.  The next time you may not even notice it.  This is the power of loving what is.  ”

Byron Katie, Loving What Is

 

日本語の訳は「ザ・ワーク」の第1章37ページにありますが、ここでは私が理解した直訳風に、私が訳してみます。

「一旦、痛みをもたらす思考が理解と共に受け入れられると、次にそれが現れた時、あなたはその思考を興味深いと思うかもしれません。かつて悪夢だったことが今は興味深いのです。次にそれが現れた時、あなたはそれを面白く感じるかもしれません。次にそれが現れた時、もしかすると全く気づきもしないかもしれません。これが、あるがままを愛することのもつ力です。」

 

 

先ほども書いたように、最初にこのことばを聞いた時、太字のところよりも、後の部分に興味が行ってしまい、太字の部分にあまり注意が向いていませんでした。

でも、日々を経てこの部分はワークをする際のとても大切な部分だな、と感じるようになりました。

だから今日はこのことを皆さんにお伝えしたくて、この記事を書くことにしました。

 

 

私の思考は悪者なの?

 

ワークって、思考を問いかけるじゃないですか、「それは本当?」って。
そうすると、その思考を否定しているようにも聞こえる時もあるものです。

 

特に、自分にとってその思考が苦しみをもたらす度合いが強ければ強いほど、そして、その思考が真実にしか聞こえず、身体中で反応しているような時、「それは本当でしょうか?」と聞かれると、「あいたたた!問いかけないで!」と抵抗したくなります。
その思考を持っている自分が否定され、非難されているような気がするからです。

 

私はよくワークショップで、「ワークって優しいんですよ。」とお話しするのですが、「信じられない!」という表情に会うこともよくあります。

 

そんな時、上のケイティのことばを思い出してみてください。

「マインド(思考)が、理解を持って受け入れられること」

このプロセスがワークなのだと。

 

 

あるワークの例をご紹介しましょう。

彼女は、旦那さんとのやりとりで、なんだかもや~っと嫌な感じを感じていました。

でも、それが何故なのか分からなかったので、ジャッジメント・ワークシートを書く時に、旦那さんの何が本当に嫌だったのか時間をとってよーくよーくみつけてみることにしました。

しばらく時間を取って見続けた後、彼女は「旦那さんが自分の言ったことをいつも聞いていないこと」が嫌だったことに気づくことが出来ました。

(ちなみにジャッジメント・ワークシートを書く時は、このプロセスとても大切です。頭に浮かんだ最初の理由に飛びつかないで、いくつもいくつも自分がひっかかっているのは何なのか、書き出してみることをお勧めします。私のワークショップ、個人セッションではこの部分をとても大切にしています。)

 

問いかけをしていると、「彼は私の言ったことをいつも聞いていない」と信じるとすごく腹が立つけど、その怒りを自分が感じないようにしていたことに彼女は気づきました。

腹が立ちそうになったら、一瞬のうちに自分の苛立ちを上手にコントロールして、「どうせ言っても仕方ないしね。」と感じないようにしていたそうです。

 

これって、私たちがよくやっているコーピングメカニズムですよね。

特に、感情的になりやすい大人のそばで育った子供たちは、自分の怒りを感じず、なかったことにして表面的には大人の言う通りに行動する術をどこかで身につけていますよね。もしも自分が怒りを表すともっと嫌な目にあうので、瞬時にその感情を隠してしまう。すると自分でも、そこに本当は怒りがあること、そして怒りを生む思考があることに気づけなくなってしまうんです。

 

だから、彼女はもや~っと嫌な感じは感じていたけれど、そこに苛立ちがあったこと、それは「彼が自分の話を聞いていない」と信じているからだということに気づくことが出来ないでいたのです。

 

ワークのプロセスのひとつにジャッジメント・ワークシートを書くことがあります。
ここは、自分でも気づいていない思考をじっくりとみつけてあげる場所なのです。

問いかけをしていくうちに、彼女は本当は自分は怒っていたこと、だけどそれを感じないようにしていたことに気づくことが出来ました。

 

これが、思考が理解を持って受け入れられることじゃないかと思います。

1)そこに存在していることさえも気づかれなかった思考がそこに存在していたことに気づき、そして2)その思考があると自分はイライラすることに気づき、3)問いかけの中で、それは何故かというと自分は細心の注意を払って努力していることを、旦那さんは全く努力していなかったからだということに気づいたので、

 

次に、またもや~と嫌な感じがしたときに、

 

「お。これはイライラだ。」「お。私はまた彼が努力していないことにイラッときているんだ。」「そしてイラッとすると私は感じないようにする傾向があるんだった。」と今回の問いかけの中で自分で気づいた「理解」を持って、自分のマインドと向き合うことが出来るようになります。
ちょっと自分のその傾向が面白く感じられるかもしれません。「お。またやってるな。」と。

 

思考は急に消えることなく、しばらく現れ続けるでしょう。

でも、この思考に関する「理解」があると、もう思考にふりまわされたり、恐怖のために考えないようにしたり、感情を押し殺したりする必要がなくなります。

 

暗闇で姿の見えない巨大なモンスターのように見えていたものが、明りをつけてみたらただの可愛いぬいぐるみだったみたいなことです。

 

この思考を持っている自分が怖い、感情的に反応してしまう自分が怖い、感じてはいけない、思考に気づいてはいけない、と抵抗していた自分が、

理解を持ってその思考や感情と向き合うと、なんて可愛くて、無邪気で、愛おしいのだろうと思えるようになる感じ、それがワークなのです。

 

だから「それは本当でしょうか?」と問いかける時、思考を悪者のように取り扱い、尋問するのではなく、

「どうしてそう思うの?」「それって本当にこわいことかな?」ってやさしく、理解をもって、聞いてあげてほしいのです。

 

 

ワークは、思考を理解を持って受け入れるプロセスだと、私の理解が追いついたから、ケイティのことばが響くようになったのかもしれませんね。

 

Enjoy The Work!

吉田あき


亡霊ちゃんのお話

ある素敵な女性のセッションにて。

 

美容院の約束を意図せずうっかり忘れてしまい、しかもそれが2回目だったので、美容院さんにもう予約は受け付けないと言われてしまったことをとても恥ずかしいと感じているというところからセッションが始まりました。

とにかく、そのことについて自分には何をする術もない、無力だと感じるとおっしゃってました。

 

これを聞きながら、私は自分のケースを思い出していました。

誰かに怒られた時、「もう手遅れだ!」と思うあの感じを。

怒られる前だったら怒られないように気をつけることが出来たのに。でも怒られてしまった後だと、もう過去に戻れないし、取り返しがつかない。だから、怒られてしまうと、なす術がない、だから私はだめだと思うあの無力な感じを、先日ワークで味わったばかりでした。

 

その時点では、彼女が何に苦しんでいるかの全貌は分かっていませんでしたが、私には、あの無力感と一緒だ、という気づきはありました。

 

この状態になると、相手に怒るのをやめて許してもらうしか、楽になる方法がない気がして必死に相手に許してもらおうとするのですが、でも、どうして私が怒られているのか分からないので、本当にお手上げになります。

 

彼女に、このように自分は気をつけようとしていたのに、失敗してしまい、自分はダメだと思った過去はあるかお聞きしたところ、小1の頃に、学校の先生に家庭訪問で「○○ちゃんは忘れ物が多いし、体育着に着替えるのが遅い。私ものすごく困っています。」と今まで先生にそんなことで怒られたことは一度もなかったし、自分でもそうだったと思っていなかったことを先生から母親に言われ、母親がパニックに陥り、「こんなに恥ずかしい思いをしたのは初めてだ」と怒られたことを思い出すとおっしゃいました。

以来、ずっと自分は気をつけていないと何かとんでもないことをする、心当たりもないのに母親に恥ずかしいと思われるような人間だと思い、違う人間になろうと頑張って生きてこられたそうです。

 

 

そして何か自分がミスをする度に、

自分はすごく気をつけているけれど、自分には気づかないうちに絶対に失敗してしまうダメな自分がいるから、どんなに気をつけていても無駄なんだ。私は無力だ。直しようがないと思っていたそうです。

 

 

そのことに関してワークの質問をしているときに、何度も、何度も彼女は「私には覚えがない、私の記憶とは違うことを先生は言っている」と言っていることが気になった私。

 

もしかしてそれって、自分の中にそんな自分がいるという認識はないけれど、周りの人がこういうあなたがいると言ったから、それを信じてしまったってこと?自分でも良く分からないうちにその子は自分だという新たな認識を作り上げてしまったということ?

もしかして、その子本当は存在しないのでは?

 

それに気づいたときの彼女は、「え~????いないのぉ?」と戸惑いながら嬉しそう。

 

でも、確かによーくよーく振り返ってみると、そんな子いなかったんです。
いることにして、なんとか辻褄を合せていたけれど、「どんなに気をつけていても自分の知らないところでポカをしてしまう自分」なんて本当はいませんでした。

 

 

あれれ?そうすると、なんだか不思議な感じ。

美容院の時は?

忘れないように気をつけようとしていた。 → 疲れて昼寝をしてしまった。 → 後から時間が過ぎていたことに気づいた。

「気をつけようとしていたけど、忘れてしまったダメな私」はどこにいるのでしょうか?

よーくよーく見ていくと、どの時点でその子は生まれたのでしょうか?時間軸で追いかけてみましょう。

 

  1. 忘れないように気をつけようとしていた。 ← この時点ではまだ存在しませんよね?
  2.  

  3. 疲れて昼寝をした。 ← ここ、ひっかかりやすいところですが、よく見てください。この時点に、ダメな私は存在するでしょうか?過去を振り返ると、どうもここに例のヤツ(気をつけようとしていたけど、忘れてしまったダメな私)がいそうなのですが、「あー。暑い。疲れた。ちょっと横になろう。」と思ったとき、本当に頭に美容院のことなんてないんです。その時、私はわざと忘れてしまったダメな私ですか?よーく観察してみることが大切です。この方も、よーく観察したら、そこに亡霊ちゃんはいないことに気づきました。
  4.  

  5. 後から時間が過ぎていたことに気づいた。 ← この時点の私も「ダメなやつ」ではありません。でも、この時点で「やばい!」と思った私は2の私を例のヤツにすることに決めました。気付かなかったけど、2の時点に例のヤツがいたらしい。あぁ~、またか、また例のヤツに私は乗っ取られて、重大なミスをしてしまった~。もう例のヤツはこうやって過ぎ去ったときに、現れるから直しようがないよ、本当に困るよ、とやり始めます。

 

私のところに来て起きた出来事を話してくださった時、とても恥ずかしそうにしていたのは、彼女の中に例のヤツがいることになっていたからでした。

 

 

この後、この方からメールが来て、こんなことが書いてありました。

 


吉田 あき 様

 

昨日はセッションありがとうございました😊

 

昨晩、もう一度「あ!美容室の予約の時間忘れた!😱」の場面をよ~く再生して観て観たんですね。 そしたら…私、悪い事したって思って無かった(爆)申し訳ないとか全然感じて無かった(笑)

 

そしたら、おっかしくて!!

1人でクスクス笑ってしまいました!

 

私は、(あの家庭訪問事件で)母があんなに打ちのめされてるのに、「全然悪いと感じない自分自身」が不謹慎に思えて、葬り去ろうとしてたんです。

 

美容室の事にしても、今まで、事の大小関わらず、誰かが私が関わる何かで、迷惑したり、傷ついたりしただろう

「そのような場面」

「私が悪いと思えなかった時」

あの亡霊?を発動させてそこに

「不謹慎な自分」

乗っけたというか、作り出したというか。

そういう作業を繰り返してました。瞬時に。

なんか、それはそれで人間の脳って凄いですよね。なかなか複雑な作業ですし。

とか感心したりして 笑

 

はあ~。本当にパワフルです。ワーク。

 

しかも、最近行き詰まり気味だったり、まだすっきりしてなかったワークネタの答えがここにあったと、今朝、不意に気が付いてびっくり。可笑しくなりました。

 

すごいなぁ。

吉田あきさんという素晴らしいファシリテーターが、私が電車で会いに行ける範囲にいたというラッキーさ☆感謝です。

あきさんファシリテーターになってくれてて、ブログやっててくれてて本当にありがとう…(*´∇`*)

 

 


 

こちらこそ、素晴らしい探求の旅に一緒に出ることが出来て嬉しかったです。ありがとうございました!私も多くを学ばせていただきました!

 

 

あなたにも、本当はいないのに、いることにしている亡霊ちゃんいませんか?

私はこのセッションの後、たくさんみつけました。

 

「私って気づかない内に人に怒られてしまうようなことをしてしまう人間だ!」という亡霊ちゃんを飼っていたせいで、誰かに怒られた時、自分に心当たりがなくても、それを自分のせいだと思ってしまう、これは昔から飼っていた亡霊ちゃんでした。

 

心当たりがないから、急に責められてもどの過去に戻って謝ったらいいのか分からない。

でも、亡霊ちゃんがいると信じているから、とにかく私が何かをしてしまったのだろう、と良く分からないけどものすごく罪悪感を感じる。

それなのに、どこをどう謝ったらいいのか分からないから、相手に責められてもうまく応えられない。

こうやって相手の責めている対象の自分が存在すると誤解していたから混乱していたのだなとこのセッションのお陰で私もこの構造に気づかせていただくことができました。

 

 

相手が私を責めていても、私の中に亡霊ちゃんがいなければ、変な罪悪感がないので相手に対して防御的になって攻撃をし返す必要がありません。

「そうあなたは感じるんだね。」と聞いてあげられるし、「私の認識は違いますよ。」と冷静に伝えることが出来る。

闘いが生まれません。はぁ~。長い旅路でした。

 

 

そして、「本当はいないのにいることにしてしまった亡霊ちゃん」は他にも様々な場面にいることにも気づきました。

 
例えば細い道ですれ違いざまに、こちらの顔も見ずに道を当然のように自分から道を先に通ろうとする人を見て、

「私は道を譲ってもらえない人」と瞬時に思うのも、

約束を何の連絡もなくキャンセルされた時の、

「私は大切に思われていない人」というのも、

 

実はこれらも全部、私が作り上げた亡霊ちゃんではないかと思うんです。

 

本当はそんな私いないのに、いることにして落ち込んでしまう…。

 

 

みなさんも、亡霊ちゃん飼ってませんか?

 

 

よい残りの週末を♪

吉田あき


過食嘔吐と「私はダメだ」その10

前回の続きです。

これまでの記事はこちらから。
過食嘔吐と「私はダメだ」その1
過食嘔吐と「私はダメだ」その2
過食嘔吐と「私はダメだ」その3
過食嘔吐と「私はダメだ」その4
過食嘔吐と「私はダメだ」その5
過食嘔吐と「私はダメだ」その6
過食嘔吐と「私はダメだ」その7
過食嘔吐と「私はダメだ」その8
過食嘔吐と「私はダメだ」その9

 

最終回です。

最終回は、まとめです。

 

最初にあったのは、「自分はダメだ」という自己否定。

それを消したくて、大丈夫にしたくて、完璧になりたくて、頑張り続ける。

でも、常に「自分はダメだ」と信じているので、頑張りが続かないし、気持ちがふさぐ。

そこで、自分を元気にしてくれるように感じる「食べること」に頼る。

食べると元気になり、頑張ることが出来るようになる気がするが、段々と太り始める。

それでは、完璧から外れてしまう恐怖が出てきて、自分の中の「自分はダメだ」の傷が刺激されるので、吐くようになる。

そうしていくうちに、「自分はダメだ」と思うから頑張る、無理して頑張るけど基本にある自己否定のせいですごく疲れるし落ち込む、だから食べる、食べるのがやめられないから、自分はもっとダメだと思う、自分はダメだと思うともっと無理を自分追い込む、苦しくなる、食べる、吐く、さらに落ち込むということがただただ繰り返されていくようになる。

 

これが過食嘔吐のサイクル。
というか、すべての落ち込みのサイクルかもしれません。
「自分はダメだ」という思いが刺激されることが起こると、何かに逃げたくなる、それに頼れば楽になる気がするから。
そうしているうちにそれから逃げられなくなる。
そして常にその時にずっと根底で自分の恐怖を生みだし続けている、自分を刺激し続けている思いがある。
それが「自分はダメだ」の思い。

そしてこの渦中にいると、「自分は摂食障害だ。私の問題は過食嘔吐だ。」目に見えている症状で自分のことを認識するようになる。(「自分は依存症だ」「自分は共依存だ」「自分はアダルトチルドレンだ」「自分はアルコール依存症だ」などなど。)

そして、この問題を解決すれば、楽になれるのではないかと考えるようになる。

そして、様々な方法を使って、食べることをやめようとしたり、食べている自分を責めたりして、「過食嘔吐」を治そうとするようになり、そしてもっともっと苦しくなる。

 

 

 

元々あった「自分はダメだ」に、「太ってしまう私はダメだ」も追加されているし「過食嘔吐をやめられない私はダメだ」も追加され、疲れ切ったあなたに私は言いたいのです。

あなたの問題は過食嘔吐ではありませんと。

 

 

あなたの問題は、あなたに問題があるという思考を信じてしまったことにあります。

本当は、あなたには何の問題もないのに。

 

 

私も、「どうせ私はダメなんだ」の思いをずっと持っていたので、とても苦しかったです。
様々な症状としてそれは、私の人生に現れていました。

拒食症、過食嘔吐、人を怖れる、人を喜ばせていないと不安、自分の声を聞くことが出来ない、いつも誰かの声を優先してしまう、お金の不安、将来への不安、共依存もしくは引きこもり…。

 

それでも、いつも食べることや、なんかしらのよろこびを私に与えることによって、私は誤魔化し誤魔化し、人生を「普通の人」のふりをして生きてきました。

 

 

今も、食べることはよろこびをくれます。テレビを観たり、頭をからっぽにさせてくれる娯楽が好きです。

 

 

でも、ワークを5年以上ほぼ毎日し続けてきたことによって、段々と、自分の声が聞こえるようになってきました。

最初は頭がぼーっとして何を言っているのか、何が自分を混乱させているのかも分かりませんでした。

 

それがワークをし始めて、自分の中にたくさんの怒りや混乱、悲しみや失望、たくさんのあきらめがあったことを許せるようになってきました。

 

そして、それらが生まれた原因をひとつひとつじっくりと時間をかけて探求していくことで、頭の中のおしゃべりが段々と静かになっていきました。

 

 

体育館で集会前に全校生徒が思いっきり雑談しているときのうるささ(締め切った反響する空間の声の響き)が、今は、もっとひとつひとつの声がはっきりと私に何を言っているのかが分かるようになりました。

声がなくなった訳ではありません。

でも声が何を言っているのかひとつひとつ聞くことが出来るようになると、四方八方からぐわんぐわんと色々な声が聞こえて混乱していた時より、対処が楽な気がします。

「なんで出来なかったんだ?」「何をしてるの?」「あれは出来たの?」「お前はバカだ。」「だからうまくいかないんだ」などのひとつひとつの声をとらえて、聞いてあげます。

 

 

こんな静けさをあなたにも、味わってほしくてバイロン・ケイティのワークをご紹介しています。

 

やり方はすべてここのサイトに書いています。

 

 

でも、最初は難しいと思います。頼ってください。

やり方、向き合い方をじっくりとご紹介します。

 

 

もし、興味があったら、個人セッションを受けてみてください。

そして、今回お試し的に、このような傾向の方向けのオンラインコースをつくってみました。

 

このコースが誰かのお役に立てたらいいなと思い、つくりました。

夜にオンラインで行うコースです。

ご興味があれば、詳細を観てみてください。

 

 

過食嘔吐と「私はダメだ」オンラインコース

 

長い続きものの記事を読んでくださってありがとうございました❤

 

暑い夏ですが、みなさまがお元気に過ごせますように。

 

吉田あき


過食嘔吐と「私はダメだ」その9

前回の続きです。

これまでの記事はこちらから。
過食嘔吐と「私はダメだ」その1
過食嘔吐と「私はダメだ」その2
過食嘔吐と「私はダメだ」その3
過食嘔吐と「私はダメだ」その4
過食嘔吐と「私はダメだ」その5
過食嘔吐と「私はダメだ」その6
過食嘔吐と「私はダメだ」その7
過食嘔吐と「私はダメだ」その8

 

今日は置き換えを体験しましょう。

 

置き換えとは何でしょうか?

置き換えは、最初の文章を色々な方法でひっくりかえしてみて、さらに、その置き換えた文章が、もしかすると最初の文章と同じく、もしくはそれ以上に正しいかもしれないことを探求していくプロセスです。

 

 

では、試してみましょう。

「○○さんは私のことを嘘つきだと思った。」
これが元にある私の思考です。

○○さんが私のことをどう思っているのか、まるで知っているかのようにそう信じています。

 

これをまずは、「私は、私のことを嘘つきだと思った。」とひっくり返してみましょう。
こうすることで、○○さんが私のことを「嘘つきだ」と思ったかもしれない同じ時に、実は「自分が」自分のことを嘘つきだと思っていなかったか?を見ていきます。

 

では、皆さんも前回の、自分がばれないだろうと思って嘘をついたことが、相手にどうもばれてしまったかもしれなくて、いたたまれない気分になっている場所に戻ってください。

前回の記事を読んでいない方はまずはそちらを読んでみてくださいね。
4つの質問

 

それではその場所に戻って、その置き換えた文章が、真実味を持つ、具体的な例を3つ挙げます。

ここでも、頭ごなしに「そんな訳ないじゃないか。」と決めつけずに、オープンになってその置き換えを聞いた時に、どう思うか、瞑想をしながら、自分の中に尋ねていきます。

 

 

その場所で、相手ではなく、「自分が、自分のことを嘘つきだと思った」と聞いた時に、どう感じますか?
その場面で、それが本当かもしれない例をみつけられますか?
じっくりと座ってその答えが現れるのを待ってください。
時間がかかっても大丈夫です。ゆっくりと時間を取ってみてください。

 

 

 

 

では私の例を挙げてみましょう。

  • これが事実。実際に嘘を付いたし、そのことを自分でも自覚している。それを隠そうとするから混乱するだけ。
  • この文章の方が真実味がある。○○さんにばれるより前に、嘘をついていることを恥ずかしいと思っている自分がいた。
  • ○○さんは何も言っていない。私がずっと頭の中で「嘘つき、嘘つき」と自分を責めているだけ。それが苦しくて、○○さんもきっと自分を責めているに違いないとすり替えた。

 

相手が自分にしていると信じてきたことを、実は自分が自分にしていたということを認めることは勇気のいることです。
自分を責めずに、ゆっくりと真実と向かい合ってみましょう。

 

 

 

 

では、他の置き換えもしてみましょう。○○さんと私の立場を逆にしてみます。

「私は○○さんのことを嘘つきだと思った。」

今まで、○○さんが私のことをそう思っているということばかりに気を取られていました。しかし、同時に自分も○○さんのことを嘘つきと思っていなかったでしょうか?これも、先ほどの場面に戻り、自分の中からその例が浮かんでくるのを待ちましょう。

 

 

 

 

 

私の例だと、

「私は○○さんのことを嘘つきだと思った。」

  • 「私に『あれどうなったの?』と聞いていたくせに、きっと私以外の人に聞いたんだ!ひどい。私以外の人に勝手に聞くなんて。私さえ黙っていたらばれないと思ったのに。」と勝手に、私の中で○○さんは他の人には聞いてはいけないという約束事を決めていて、それが破られたことを私は怒っていた。
  • 「私のことを嫌いになってはいけない。」という約束事を勝手に頭の中で○○さんに押し付けていて、嘘がばれた時の○○さんの顔を見た時に、「ひどい!私のことを嫌いになるなんて!嘘つき!」と思っていた。
  • 「この人はやさしいふりをしていたけど、こんな些細なことで人に失望する人なんだ。がっかり。」と勝手に○○さんに期待していた優しい人のイメージを裏切られて嘘つかれた気になっていた。

 

 

「私は○○さんを嘘つきだと思った。」その例が出てくると、自分の中の意識していなかった部分が出てきて、謙虚になれます。私も同じことしてました。勝手に怒って勝手に失望してました。ごめんなさいと。

 

皆さんの場合はどうでしたか?どんな例が出てきましたか?

 

 

 

 

 

では、他の置き換えもしてみましょう。意味をまるっきり反対にしてみましょう。

「○○さんは私のことを嘘つきだと思わなかった。」

きっと私のことを嘘つきだと思ったに違いないと信じているときに、実はそうではなかったかもとみていく勇気のいる置き換えです。じっくりとこの文章が、もしかすると実は本当かもしれない理由をみつけていってみてください。

 

 

 

 

私の例を紹介します。

  • ○○さんは私に「お前、嘘つきだな」なんて言ってこなかった。
  • ○○さんに確かめていない。だから確実ではない。「お腹すいたな」と思っているかもしれない。
  • ○○さんは、そのことを知ったかもしれないけれど、その結果、私のことをどう思ったかは私は本当に知ることが出来ない。

 

 

 

このように、よく事実を見ていくと、どうですか?

 

 

「○○さんが自分のことを嘘つきだと思った」という思考を信じ続けることは出来ますか?

 

 

 

もしここで、まだその思考が真実だとしか思えないのだとしたら、まだ深く探求が出来ていないのでしょう。もちろん、それもOKです。

でも、ほんの少しでも真実を知ると、先ほどまで絶対の真実だったことが、少し違って聞こえてきませんか?

 

 

 

こうやって一つ一つ、探求をしていくのが、バイロン・ケイティのワークです。
頭をやわらかく、オープンに向き合っていく必要があります。
決して楽なプロセスではありません。エゴは泣いて叫ぶでしょう。「私は絶対に間違っていないのに!」と。
それでも、そのエゴを超えたところで、自分が本当は知っていた真実に巡り合えると、心がよろこびます。ほっとします。

 

 

先ほどの、「私は私を嘘つきだと思っている」の例で、そうだった、私は最初から自分を嘘つきだと思っていたのだった、と気付いた時、私はほっとしました。
だったらばれた時に、それを隠さず、「そうなんです。ばれると恥ずかしいと思い嘘を付いていました。」と自分の真実(嘘をついている私)と、相手に見せる自分を一緒に出来る感じがしました。

 

 

自分の中で、次回同じようなことが起きた時に、はたして私は嘘をつくかな?そして例えば嘘をついたとして、それがばれた時に、それでもそれを隠し続けるかな?と楽しみになりました。

 

 

バイロン・ケイティのワークは「ワーク(一仕事)」と言われる位ですから、簡単なプロセスではありません
でも、だからこその効果は驚くほどのものです。

これがしつこく信じ続けている思考にワークを使って探求していくことをお勧めしたい理由です。

私が身を持って、その効果を体験しているので、自信を持ってお勧めできます。

 

 

では次回に続きます。おそらく最終回です♪

 

 


過食嘔吐と「私はダメだ」その8

前回の続きです。

これまでの記事はこちらから。
過食嘔吐と「私はダメだ」その1
過食嘔吐と「私はダメだ」その2
過食嘔吐と「私はダメだ」その3
過食嘔吐と「私はダメだ」その4
過食嘔吐と「私はダメだ」その5
過食嘔吐と「私はダメだ」その6
過食嘔吐と「私はダメだ」その7

 

ワークシートが書き終わったら、質問1の文章から順に4つの質問を使って探求を始めていきます。

 

それでは実際に問いかけていきましょう。
実際にはご自分の書かれた文章を使って問いかけていきますが、今は前回から続いている文章を使っていきます。

「○○さんは私のことを嘘つきだと思った。」

 

 

では、一緒に探求を体験していきましょう。ただ、読むだけではなく、ご自身でも質問に答えていってみてください。時間をとってゆっくりとご自分の答えが出てくるのを待ってください。

 

 

 

 

 

 

 

まずは、ご自分の過去で、誰かにきっとばれないだろうと嘘をついたことを、後からその人が知ってしまった時の、恥ずかしさを感じた出来事を一つ思い浮かべてみてください。そして目を閉じて一つ一つの質問に頭ではなく、瞑想をするように答えていってください。

 

 

「○○さんは私のことを嘘つきだと思った。」

それは本当でしょうか?

 

十分に時間を取って、出てきた答えがはいなら次の質問にいきます。
いいえの時は次の次の質問にいきます。

 

 

 

「○○さんは私のことを嘘つきだと思った。」

その考えが絶対に本当だと言い切ることは出来ますか?

 

 

ここでも目を閉じてじっくりとその場に戻り、自分自身の「知ってる」と思っているエゴの部分を超えた答えを尋ねてみてください。本当に、あなたは○○さんが考えていることが分かりますか?○○さんはそう言ったのですか?本当に自分の考えが正しいと言い切れますか?

 

「はい」か「いいえ」で答えます。

 

 

 

 

次に尋ねるのはこの質問です。

「○○さんは私のことを嘘つきだと思った。」

その考えを信じる時、どう反応しますか?何が起きますか?

 

 

 

目を閉じて、自分がどんな反応をするのかを答えてください。どんな感情が出てきますか?
身体の感覚はどうですか?どんな過去や未来を見ていますか?自分のことをどんな風に見ますか?相手にどんな風に接しますか?

これが、あなたがその思考を信じているときに起こることです。

もしかすると、心臓がバクバクとなって、汗が出てきて、恥ずかしくて相手と目が合わせられなくなって、もう相手は自分といたくないと思うだろうという未来を見て、自分のことを嘘つきで恥ずかしい人だと思い、自分のことを嫌いになって責めて、そして何か食べたくて仕方なくなるのではないですか?

その人に恥ずかしさの為に、顔が合わせられなくなって、会う度にやましい気持ちになって、距離を置くようになる。「この人に絶対に嫌われた!」と思い、それを思い出す度に後悔して、自分を責める。「こんな嘘つかなければ、この人はまだ私と一緒にいてくれたのに」と思うと悔しくて仕方がない。自分が全部壊してしまったように思う。自分は嘘つきだと見るので、人生においても何故か正々堂々と生きられないところを感じる。いつも胸の中にしこりのように、「私って恥ずかしい」という思いを持ち続けていて、自分を責めている。。。など、

 

ご自分の反応をよく観察して、答えてください、その考えを信じていると自分がどうなるのかを。

 

 

 

 

自分の反応を全て出し終えたなと思ったら、次の質問に動きます。

 

 

「○○さんは私のことを嘘つきだと思った。」

その考えを信じていなければあなたはどうなりますか?

 

 

頭で「はいはい、なかったら楽ですよ。」とやるのではなく、本当にその場に戻り、その考えは浮かんでくるけれど、それを信じていなかったら、自分はどうなるのか体験してください。

 

 

その考えを信じていなかったら、

私は、まず息が出来るようになります。「もしかして△△のこと知っちゃった?」と聞けます。
「すごく恥ずかしくて言いたくなかったから嘘ついたけど、知られた方がずっと恥ずかしいね。」「私のこと失望した?嘘つきだと思った?嫌いになった?」と聞きたいことを聞けます。

そこに存在出来るようになります。先ほどまでは、私はその場から今すぐに離れて消えてしまいたかったのですが、今は、自分はこういう風に感じているけれど、貴方はどう感じていますか?とまっすぐ相手に尋ねることが出来ます。

 

嘘をついた私を責めたり、隠したりせずに、そこに居させてあげられることが出来ます。
嘘がばれて恥ずかしい私を隠さずにその人に見せることが出来ます。

それはとても安らかな感じです。自分を隠さないですむことをずっと私は求めていたような気がします。

 

 

皆さんも、ご自分の答えを自分の中から聞いてください。

 

 

 

 

次回は置き換えをしていきますね。

 

また新たな一週間の始まりですね。私は、朝8時からあるコースを受けています。
朝早くに始まると一日が長くて良いです!宿題も多いけど、楽しいです♪

 

よい一週間を❤

吉田あき

 


過食嘔吐と「私はダメだ」その7

前回の続きです。

これまでの記事はこちらから。
過食嘔吐と「私はダメだ」その1
過食嘔吐と「私はダメだ」その2
過食嘔吐と「私はダメだ」その3
過食嘔吐と「私はダメだ」その4
過食嘔吐と「私はダメだ」その5
過食嘔吐と「私はダメだ」その6

 

前回は、過食嘔吐という目に見える症状ではなくて、その下にある思い「私はダメだ」が真実なのかどうかをバイロン・ケイティのワークで探求することをお勧めしました。

 

では、バイロン・ケイティのワークではそれをどう進めるのか?その進め方の例をひとつ、バイロン・ケイティのワークが初めての方に向けてご紹介しますね。

 

まずは、生活の中で、「食べたい!」「食べなくちゃ!」スイッチが入ったときのことをひとつ思い出してください。
具体的に実際に起きた出来事で覚えているときのことです。

 

それは何年も前の出来事でもいいのですが、なるべく鮮明に思い出せる時がいいです。今日のこととか、昨日のこととか、近い時の方がいいです。

 

※「急にどうしても食べたくなる」を急にゲームをしたくなるでも、どうしてもパソコンを立ち上げてブログを読みたくなるでも、タバコが吸いたくて仕方なくなるでも置き換え可能です。ご自分にピッタリくるものに置き換えて試してみてください。

 

 

では、その「食べたい」スイッチが入ったとき、それが入る直前にあなたは何を考えていましたか?

例:「今お昼ご飯食べちゃったから、次何か食べられるのは何時間も先だな。」
「あれ、やらなきゃいけないんだよな。面倒だしやりたくないな。」
「部屋、汚いな。掃除しなきゃ。嫌だな。」
「あのとき、なんであんな風に言ってしまったんだろう。ああ恥ずかしい。」

 

あなたが実際にその食べたくなるスイッチが入る直前に考えていたことを思い出してください。
それが、あなたの「食べたい」を発動させる思考のひとつです。

 

 

例えばそれが「あのとき、なんであんな風に言ってしまったんだろう。ああ恥ずかしい。」だったとします。

あなたは、過去に自分がしたことを思い出して、「あんな風に言うべきではなかったのに。」と思い、自分が恥ずかしくなって、それを忘れるために食べたいと思うのです。
急に何も理由がなく、食べたくなる訳ではないのです。

 

 

では、その時、「あんな風に言うべきではなかったのに」以外にもどんな思考がそこにあるのかを見ていきます。
どんな思考たちがあなたを、「食べずにはいられない!」と追い込んでいるのかみつけていきます。そうです、一つではないのです。
これには、ジャッジメント・ワークシートというワークシートを使います。

 

では、あなたはその恥ずかしいと思うことを自分がした時、誰とどこにいましたか?何が起きたのですか?そして、何故恥ずかしいと思ったのですか?

よく、その状況に戻り、どうして恥ずかしいと思ったのかの理由を、本当の理由をみつけてください。

 

私の場合は、おそらくばれないだろうと思ってついた嘘が、あっさりとその人にばれてしまった時のことを思い出しました。その時、私とその人は2人でその部屋にいて、そのことがその人にどうもばれたらしいことを察して、私は恥ずかしくていたたまれなく感じていました。

そして何故自分を恥ずかしいと思ったのだろう?その理由をよくよく見ていくと、相手に嘘つきだと思われたと信じていることが分かりました。

 

そこで、先ほどのジャッジメント・ワークシートをプリントアウトして、1番に記入します。
「私は自分を恥ずかしいと思う。何故なら○○さんは、私のことを嘘つきだと思ったから。」という風に。

 

 

ワークシートには残り5つの質問がありますので、それに順次答えていきます。
その質問には、相手にどうしてほしいのか、相手は何をするべきだったのか、相手に何をしてもらったら自分が幸せになれると思うのか、相手をどう批判しているのか、そしてこのことを思い出すと、もう絶対二度と体験したくない~!と思うのは何なのか、それらがあります。

これをじっくりじっくり自分と向き合いながら、書いていきます。

 

これら全てが、あなたを「食べたい!」という衝動を起こさせる思考たちです。
これらを信じていると、あなたはその結果として「いてもたってもいられない!食べなくては!!!」と思うようになるのです。

 

これらはふいにあなたのこところに現れて、一瞬のうちに色々な思いを引き起こし、「食べたい!」と思わせます。

この一瞬をバイロン・ケイティのワークでは、スローモーションにします。

一体どんな思考がその瞬間に起きたのか、丁寧にゆっくりと見ていきます。

 

これは、自分を知る瞑想です。

自分の中にはこんな思いが瞬時に浮かんでくるのかと知ることができるようになります。

 

慣れていないと、それらの思いが出てくるだけで、「いや~!逃げたい~!何か食べたい~!」と思うかもしれません。
ゆっくりと向き合ってあげてください。

 

それでは、次回はいよいよ4つの質問に入っていきましょう。

 

良い週末をお過ごしください❤

吉田あき

 

 


過食嘔吐と「私はダメだ」その6

前回の続きです。

これまでの記事はこちらから。
過食嘔吐と「私はダメだ」その1
過食嘔吐と「私はダメだ」その2
過食嘔吐と「私はダメだ」その3
過食嘔吐と「私はダメだ」その4
過食嘔吐と「私はダメだ」その5

 

ステップ1は過食嘔吐をなんとかしようとするのを一旦お休みすることでした。

今日はステップ2をご紹介します。

ステップ2は、「自分はダメだ」という思いが真実ではないことへの探求を始めることです。

 

それで、ですね。
ここには実は色々な方法が用意されています。世の中には素晴らしいカウンセリング療法、手法、技術、精神統一の方法、ヒーリング、瞑想法、セラピーなどがあって、自分にピッタリくるな、と思えばどれをやってもいいと思います。

 

私も、たくさんのことに挑戦しました。そしてそのどれもが、今の私をつくってくれることに役に立ったと思っています。そしてそのどれもが素晴らしかったんです。

でもね、疲れちゃったんです。
その理由は、ステップ1が抜けてたからなんですよね~。

 

過食嘔吐をなんとかしようとか、「ダメな私」をなんとかしようというなんとかしなければ~、という思いを持ちながらそのどの手法とも向き合っていたので、解決しなければいけない問題と常に闘っているようなそんな感覚でした。

そして、その問題を持っているのは外でもない自分自身なので、問題を持っている自分VS問題を消したい自分の闘いでした。自分対自分の闘いって、どこまでいっても解決しないんですよね。よく言うアクセル踏みながらブレーキ踏んでいる状態。どちらも譲らず、闘えば闘うほど疲弊していく闘いでした。

 

 

そのように疲れ切ったときに、私はバイロン・ケイティのワークに出逢いました。

バイロン・ケイティのワークは、解決しなければいけない問題は何もない、というスタンスでいてくれることに安心を感じました。
起きている出来事は「私はダメだ」と信じている自分でさえ、全部そのままで良いことを許してくれました。全部、全部そのままでいい、何も解決しようとしなくていい、Loving What is, あるがままを愛す、という大きな愛に、ようやく安心感を得ることが出来たのです。

 

私はそもそも何も悪くない、すべてとてもinnocent, 純粋で無垢な思いから起きていること。
「私はダメだ」という思いを持つことに至ったのにも、そこに至る無数の無垢で純粋な思いが関わっていただけでした。

 

それを、一つ一つ、問いかけを通じて教えてくれたのが、バイロン・ケイティのワークでした。
ですので、ステップ2はたくさんの方法がありますが、私はステップ1とステップ2が融合しているバイロン・ケイティのワークを私の経験に基づいて、皆さんにお勧めします。

 

でもね、ここで言っているのは他のやり方がだめだということではないのです。
ステップ1(今の自分をダメだと否定しない、変えようとしない)が自分の中で腑に落ちていれば、そのことだけで大きな変化が起きて、あとはどのやり方をとっても大丈夫な気がします。(どのやり方といっても、全てを知っている訳ではないのでなんとも言えませんが。)
私のように、ステップ1が大切なことに気づくために長い旅をして色々試すことが必要なケースもあると思います。

 

バイロン・ケイティのワークでは、「私はダメだ」と信じるに至ったたくさんの出来事において、一つ一つ丁寧に本当に自分はダメなのかを探求することが出来ました。私は、本当に本当に絶対に自分はダメなのかどうかあらゆる角度から自分自身に問いかけ続けました。

具体的には、「私はダメだ」本当ですか?だけではなく、色々な人がきっと自分のことをこう思っているであろうと怖れていることに対して向き合い続けました。「この人はきっと私のことを好きじゃない。」とか「この人は怒っている」とか。

日々、誰かに対して怒ったり、不安に思ったり、悲しくなったり、イライラしたり、そんな時の思いを一つ一つ書きとめて、探求を続けました。

 

 

私の体験から言うと、数回の問いかけ(探求)で、長年信じ続けてきてガチガチに固まった思いが本当は真実ではなかったことに気づくことは、ありません。そのように出来てはいないのです。私の場合も何年もかかりました。それほど強く信じてきたものだから。けれど、少しずつ確実に、この思い「私はダメだ」が私に与える影響がワークの探求のおかげで少しずつ薄くなってきました。

 

そして実は、その思いは消えてなくなった訳ではありません。
でも、ワークを通じて、この思いは私が作りだしたり、消したりすることが出来るものではなく、そこにあるもの、だけれどもそこにあっても、私が前のようにそれに心を動かされなくても大丈夫なのだと分かるようになりました。

そこに思考はあるけれど、私がそれを自分のものだと認識することが薄くなった感じです。

 

つまり、長い期間をかけてステップ1への理解が共に育った感じです。思いはあっても良いんだよ。
「私はダメだ」という思いも、「過食嘔吐がダメだ」という思いも。皆あってもいいんだよ。
そんな風にやさしく思えるようにワークを通してなりました。

 

ステップ1、ステップ2と書きましたが、順番なんてないのですね。

ステップ2をしていたら、ステップ1が付いてくる。

そんな感じがバイロン・ケイティのワーク、探求です。

 

 

具体的な探求の仕方はここにすべて書いてあります。

ワークの問いかけ方

ですが、具体的にどこから始めたらいいのか分からない。自分がダメだという思考が真実ではないことを探求するってどういうこと?という質問があると思います。

 

次は、具体的な問いかけの例をご紹介しますね。

 

 

 

良い七夕をお過ごしください❤

吉田あき


過食嘔吐と「私はダメだ」その5

前回の続きです。

過食嘔吐から抜け出せなくなったとき、過食嘔吐をどうにかしようとするのはちょっと違うということを前回お話しました。
それでは一体どうしたらいいのでしょうか?
今日はそのお話をしようと思います。

これまでの記事はこちらから。
過食嘔吐と「私はダメだ」その1
過食嘔吐と「私はダメだ」その2
過食嘔吐と「私はダメだ」その3
過食嘔吐と「私はダメだ」その4

 

では、具体的に一体どうしていったらいいのでしょうか?
私は、症状である過食嘔吐の方よりも、根本にある「自分はダメだ」の思いが本当に真実ではないことに自分自身で気づくことが必要だと思います。頭でそれを上辺だけで理解するのではなく。

 

その為には、その間は、「過食嘔吐をどうにかしてやろう」という思いは一旦脇に置いておいてみませんか?とご提案します。「そこにいていいよ。」と声をかけてあげるくらいの優しい気持ちで自分に接してあげてください。

「自分はダメだ。生きている価値もない。」そう信じていることで苦しんでいるのに、その苦しみを和らげてくれるものを取り上げてしまうのはとても酷なことですよね。

 

でも、これはすごく怖い決断だと思います。
このコントロールを手放すことが出来ないから、私たちは苦しんでいるのですから。

しかし、過食嘔吐をやめようとして何年も頑張り続けてきてもやめることが出来なかった、 「どうしてやめられないの!」と自分を責めても、苦しむ以外にメリットが感じられなかった、そのことを誰よりも私たちは知っていますよね。

 

でもね、コントロールを緩めたからと言って何年も、過食嘔吐が続くかどうかは分からないんです。
探求を通して「自分はダメだ」という思いから自分が少し距離を置けるようになったとしたら、過食はそれほど必要ではなくなってくることはよくあるのです。だから、ほんのちょっとだけ、怠けてみませんか?自分をコントロールしようとするお仕事を。

 

ということで、ステップ1は、過食嘔吐をなんとかしようとするのをお休みするです。

 

次回はステップ2をご紹介します。

 

吉田あき


過食嘔吐と「私はダメだ」その4

前回の続きです。

過食嘔吐から抜け出せなくなったとき、自分は「病気だ」と思うようになり、そのことが危険であることを今回はお話ししようと思います。

これまでの記事はこちらから。
過食嘔吐と「私はダメだ」その1
過食嘔吐と「私はダメだ」その2
過食嘔吐と「私はダメだ」その3

 

これまで書いてきたような事柄を経て、結果として出てきたのが今の状況。
食べては吐き、食べては吐きがやめられない。

これを例えば病院などで診断を受けると「摂食障害」として名前が付けられる。
すると、私たちはどうなるのか?というと、病気ならば、その症状を止めればすべて良くなるのではないか?と思うようになるということです。

 

 

 

「自分はダメだ」という思考を信じていることが本来の原因であり、問題の根本であるにも関わらず、そこが見えていないと、見えている症状の方だけを消そうとしてしまうのですよね。

そうすると今まで食べることでバランスを取っていたのに、急に無理矢理食べないように頑張るようになる。
すると、どうなるのでしょうか?バランスは崩壊しますよね。

 

心はもっと不安定になって、不安で不安で、結局また食べ始めてしまい、前より歯止めが効かなくなることがよくあります。
もしくは他のものに依存し始めるかもしれません。この時に通い始めた精神科のお医者さんに異常に依存するようになったり、お酒を飲むようになったり。恋愛でカバーしようとしたり。

でも大抵は再発かなぁと思います。私の経験から言うと。それほど食べ物が自分にとってよろこびになっている人に、急にそれがよろこびでなくなることはないですから。

(医学的な根拠などなく話しています。個人的見解です。お一人お一人ケースは異なると思います。)

 

でも、ここまでしてでも、私たちは生きたいのだな、と思うと本当にけなげだなぁと思います。
苦しい、本当にやめたい、でも過食嘔吐してでも生きる、その強さが人間です。

誉めてあげてください。それだけ、生きようとしている自分自身を。

 

私も母に「あんた吐いてるんじゃないの?やめなさい!」と言われた時、やめたくてもやめられない自分を恥じて、母が正しいと思い、やめられないのにやめようとして苦しくて苦しくて、結局また食べ始めて、そんな自分を弱いと感じ、どんどん自分を追い詰めたことがあります。

私が提案するのは、過食嘔吐をどうにかしようとしない方法です。
頭ごなしに症状だけを悪者にしない方法です。この症状を持っている自分を責めない方法です。

 

それを次回から書いていきたいと思います。

 

大丈夫。必ず道は開けるから。

 

吉田あき


過食嘔吐と「私はダメだ」その3

前回の続きです。

過食嘔吐がどう始まって、どう苦しみを生み、どう抜け出せなくなるかを前回までは図解しました。

これまでの記事はこちらから。
過食嘔吐と「私はダメだ」その1
過食嘔吐と「私はダメだ」その2

 

さぁ、食べないと「自分はダメだ」の呪いから動けないので食べたい、でも食べると太るし、だからといって食べてから吐くそんな自分はもっと恥ずかしい。食べても地獄、食べなくても地獄のこの無限ループにはまってしまうとどうなるのか、今回は描いてみました。

 

このループにはまると、段々無気力化してきます。
「どうせ頑張ったって私なんてダメなんだもん、一緒でしょ?」と投げやりになってもっと食べてみたり、もっと吐いてみたりと。
それでも人間ってどんな逆境でも生きられるように出来ているのか、次の朝にはまた頑張ろうと思ったりするのですよね。本当にけなげです。

 

それで上手くいっている時は調子いいのですが、ちょっとでもつまづくようなことが起きると、そこからは坂道を転げ落ちるような自責が待っています。「私はダメだ。」「私はダメだ。」「私はダメだ。」「食べたい。」「食べたい。」「食べたい。」

(これね、今過食嘔吐を例に取っているので、食べたいですが、これが「タバコ吸いたい」かもしれないし「お酒飲みたい」かもしれないし、「テレビ見たい」、「買い物したい」なんてことになることもあります。)

 

そうして、歯止めがつかないまま食べては吐き、落ち込み、また頑張ってみて、また落ち込み、と続けていくうちに、この状態に名前をつけるようになるんですよね。

病名だと「摂食障害」とか「神経性大食症」とかまた一般的には「過食症」とか「過食嘔吐症」とか。

 

すると、自分の問題はそれだと思ってしまうようになるのです。
「私の問題は過食嘔吐だ。過食嘔吐をしているから私は苦しいんだ。それをやめれば、楽になるはずだ!」と思うようになるのです。

鬱と一緒ですね。
病名が付くと、そっちが問題だと思ってしまう。

 

でも、そもそも始まりにあったのは「私はダメだ」の思いでしたよね。
それがあるから動けなくて、動くために食べて、それでこの状況になったのでしたよね?
ですので、今この状態は、原因(私はダメだという思考)からもたらされた結果ですよね。

その結果だけを改善しようとしても、そうなるに至った原因(思考)が変わっていなければ、どうなるのでしょうか?

 

続きます。

新たな一週間の始まりですね。よい一週間を❤

吉田あき