Open Your Mind, Open Your Heart

公認ファシリテーターがシェアするワークのこと諸々

医者の呪い?私の呪い?

4月中旬頃からお腹に違和感を感じて(痛みと膨らんでいる感じ)、婦人科に行ってきました。

すると子宮に5センチほどの腫れたものがあるとのこと。

お医者さんに「あなた前に子宮内膜症の手術したんでしょう?放っておいたからだよ。本当はホルモン治療とか生理止めるとかあったのに。もう手術しかないね。死にたいんだったらいいけどね。」とお説教をいただき、とりあえず他の検査もしたのでその結果を聞きにまた後日来なさいと言われ、また行ってきました。

 

teddy-562960_640すると、今回は「あなたね、これは手術だよ。子宮内膜症の手術はね、子宮を取るのが手術なの。あなたもうこの年齢でしょ、子供出来ないでしょ?じゃ、必要のないものだよね、子宮。あなた虫歯になったら虫歯取らないでおいておいてくださいって頼む?頼まないでしょ?子宮取らないとね、あと残りの人生寝たきりだよ。閉経したらもう誰も子宮の手術してくれないからね、こんな筋腫があるのに、ホルモン補充治療とか出来ないからね、だからあんたの人生は寝たきりだよ。(閉経した後、ホルモンを補充する治療をすることで元気に生きられるという治療を彼は薦めていて、筋腫がある人にはホルモンを打つと大きくなる可能性があるからその治療は出来ないから、寝たきりになるという彼の考えの元に言っているらしい。)あと、これが癌化したらね、100%死ぬよ。」とのたまうお医者さま。

ひぇー。なんという決めつけ。
彼はそう見ているのは分かったけれど、なんなんじゃ~、その言いっぷりは。

でも、その場にいてお医者さんのそのことばを聞かされ続けていると、私も段々と暗くなり、どよーんとなってしまいました。

 

でも、心のどこかで、何かおかしい、何かおかしいと感じていました。

こんなにどよよーんと嫌な気分になるということは、私、何か真実ではないことを信じているのです。そこでまず、お医者さんが言ったことで何が私の気持ちとずれているのか探してみました。

 

・私には自己治癒力がなく、一度筋腫が出来たら後は手術で取るしか方法がない。

・子宮に出来た筋腫は、悪い、必要のないものだ。

・悪い、必要なものは取ってしまえばよい。

・筋腫が癌化したら100%死ぬ。

・ホルモン補充療法をしないと寝たきりになる。

・私は人間として、女性としてもう使い物にならない。

 

ケイティがよく問いかけます。「あなたの名前は○○(自分の名前を入れる)。それは本当?」「あなたはお母さんが言ったことを全部信じるの?」

お医者さんは彼の経験と様々な理由で、心から私のことを思って上のアドバイスをくれたのだとは思いますが、彼がそれをいくら強く信じていたとしても、私までそれを信じる必要はありません。

でも、お医者さんが言うことだから、と瞬時に信じてしまったので、最初とても暗い気持ちになったのでした。

 

あと、彼の考えは、私自身の考えを鏡として見せてくれているのだということにも気づきました。

私には、悪いものが出来たら取ってしまえ、私にはそれをどうすることも出来ない、悪いものは悪いものにしか過ぎない。それが良いものになるはずがない。という考えもありますから。

医者の呪いというと、患者にはそれに打ち勝つ術がないように聞こえますが、結局は自分で信じていることが自分を傷つけますよね。私が信じた時点で、私の呪いになってますね。

 

これらの思考を一つ一つ問いかけていこうと思います。

「私には自己治癒力がない。」それは本当?と。

そうした先に、手術をするのか、どうなるのかは自然と決まってくるだろうと思います。

「手術をすることが悪いことだ」とも私には断言出来ないので。

 

でも、人に決められるのではなく、思考に縛られることなく、自分の自由な感じで決めたいと思います。

 

でも、その前に、やっぱり怖くって傷ついてしまった私がいるので、その子のケアをまずしてからね。

先生、やっぱり、その言い方は呪いになっちゃうよ~。結構怖いことのたまってますよ~。

そう思って色々検索していたら、こんな記事が。

医者の呪い/呪いは自分で解いて「祝う」

あと、子宮に「ありがとう」と声をかけてなでつづけていたら子宮から筋腫が出てきて手術をしなくてよくなったというお話もありました。

https://blogs.yahoo.co.jp/gdmfd345/4166227.html

 

 

 

あと、「自分が気を付けてさえいれば病気にならない」というのも思考なのですよね。

分かるけど、苦しい~。これを手放してしまうのは怖いです。

「どんなに気を付けても病気になるのは止められない」というのはとても楽な気もする反面、何も私には予防することが出来ないと力を取り上げられた気がして怖いです。

 

このことから、色々と私の病気に関する思考が浮かび上がってきました。

そして面白いことに、それと人生に関する思考が一緒なのですよね。

「自分が気を付けてさえいれば失敗をしない」という思考、がっちり信じていますから。

 

 

そんなこんなで、身体と心と思考と向き合う5月でした。

もうすぐ6月ですね。6月はワークショップを24(土)、25(日)にやろうと思っています。

ご興味のある方はお早めにご連絡をください。

もしかすると早めに埋まるかもです。


肩と頭痛と絶望と

headache私はよく左肩が痛くなり、そこから左のこめかみに痛みがつながり、頭が痛くなり、気持ち悪くなり、何も考えられなくなります。

そうなると、「何をしても無駄だ」という思考が上がってきて、頭痛と吐き気とリンクします。辛くて辛くて消えたくなります。
こんなヘビーな感覚を味わう人はいますか?
私はたまにこの感覚に陥って、抜け出せないような絶望感を味わいます。

 

他の皆はちゃんと人生を生きることができているのに、私には出来ない。
私はこの頭痛を抱えてただ痛い痛いと時を過ごすしか出来ない。
私は必要とされていない、私はいらない存在だ、深い深いレベルの絶望がはいあがってきます。
真暗闇です。

 

それの最上級レベルのものが昨日私に起こりました。
どっぷりどっぷり黒いお湯のお風呂に頭まで浸かった感じで、死にたくなります。
頭痛がひど過ぎて何も、出来ません。
気持ちは焦るのですが、あまりの具合悪さに結局何も出来ず、倒れるように布団に入りました。

 

そして午前2時。目が覚めます。
相変わらずある倦怠感と虚無感。絶望感と恐怖。

そんな時に、カナダにいる親友からメッセージが届きます。
「分かるよ。その気持ち。すごく分かる。」

もう一人のLAの親友からもメッセージが。

 

こんなに愛されているのに、何故私はいつまでもこの感覚にくっついている意味を信じ続けているのだろう?
誰も私を責めていないのに。私だけが私を責め続けている。

 

その時に、ふとこのどっぷり落ち込んだきっかけを思い出すことが出来ました。
「私が自分を病気にさせた」と思ったことがきっかけでした。

原因が思い出せたら後は問いかけていきます。
「私が自分を病気にさせた」それは本当?

 

4つの質問と置き換えが終わり、ある気付きがやってきました。
私は最悪の事態をいつも想定していることに気づいたのです。
いつも何かあると、良い結果もあり得るのに、最も悪い結果を想定してきていました。
この病気のことも、そうではないかもしれないのに、最悪の未来、最悪の結果、最悪の状態を考えて怖くなっていたのです。

 

ケイティの声が頭に響きます。
「過去、未来、過去、未来に行ってばかりいて私たちは今にいない。」
「もしも、今信じている思考がなければ、あなたは大丈夫?」
“Other than what you are believing and thinking, are you okay?”

 

大丈夫です。
私は全く問題なく、大丈夫でした。
今、この瞬間、私は何の問題も持っていませんでした。

 

午前3時半。ようやく眠りにつきました。
次の日の朝は軽やかに元気になっていました。頭痛も治まり、ワークショップが始まりました。

 

私の最大の収穫は、「私はいつも最悪の事態を考えてばかりいる」という気づきです。
こんなシンプルなことに気づかずに生きていたのです。
そのことがいかに無駄であるかに気づいたら、もう思考は同じことを繰り返しません。
思考が真実ではなかったことに気づくと、そのパワーはすごいのです。

ということで、人生の中でも5本の指に入るほどのどっぷり真っ黒事件は、私の目覚めの為に起きたのでした。
目覚める前は一度とことん死ぬものですね。

 

ですので、皆さんも苦しくて辛くてたまらない時、誰か頼っていいです。
一人で頑張らなくて大丈夫です。
そこに隠れたギフトに気づいたら、180度苦しみが変わります。
安心してください。

 

ワークショップ明日は2日目です♪楽しみ!皆さんも良い水曜日を!

 

吉田あき


あり方について

先日友人のアーティスト今関絵美ちゃんとお話をしていた時に、「この世界の片隅に」を観てきたことを聞きました。
のんさんが声をやっていらっしゃるそうで、その時に絵美ちゃんが、のんさんのことを
「自分で意識していないのに際立ってしまう役割を持つ人」というような表現をしました。

 

本当にそうだな、と感じます。
あまちゃんのときも、LINEモバイルのCMも何故か彼女に心をぐっともっていかれてしまいます。

そういうのって、つくろうとしてもつくれない「なにか」だな、と思います。

 

先日、ある学校の先生が、

「私たちは、『やり方』ばかりを考えてしまうけれど、本当に伝わってくるのはその人の『あり方』だ」と言っていました。

 

「あり方」って、小手先でコントロール出来ないもの。

「こうであろう」としてそうなれないもの。

隠しようがない、本当の私たち。

 

そして今朝友人が素敵な動画を送ってきてくれました。

ティクナットハーンさんのGoogleに招待された時の講演の動画です。

「あなたが人に与えることができる最も貴重なことは、それはあなたが『今、ここにあること』なのです。」

“The most precious thing you can give them is your true presence.”

 

そう、それは私たちが「こう見えたらもてるだろう」とか「こういう行動をしたらきっと感謝されるだろう」とか「わがままを言ってはいけない。周りの空気を読まなければ」とか様々な憶測を元に「作り上げた『私』のイメージ」ではなく、

「今、ここにある私」を人は感じたいのだろうと思います。

 

「今、ここにある」為には、着飾ってきた様々な装飾、「やり方」を一旦脱ぐ過程が出てきます。

それらの装飾が本当は、自分の心から出てきたものではなかったことを認める過程です。

この過程は、とても恥ずかしいし、抵抗を感じます。

自分の弱い部分をさらけ出し、ありのままでいることは、すごくこわく感じます。

着飾っていない本当の自分は、弱くてダメダメで、恐れを持っていて、混乱していて自分で一杯一杯なんですと、自分で認めることになるのですから。

 

でも、「がんばり」や「こわばり」や「コントロール」や「守り」や「鎧」が、本当の自分をより、「いてはいけないダメなもの」にしてしまっている今の方が本当はもっと苦しいです。

 

もしも弱くて、こわがりで、自分で一杯一杯になっていて、余裕がなくて、一人で必死にしがみついている自分がいるのなら、まずは自分がその自分にスペースをあげ、そうであることを受け入れ、許してあげたい。
それが、自分との邂逅。自分との和解。

 

そんな自分を許し、愛せるようになれた時、
テクニックではない、本当の愛を、人は私たちに感じるのかもしれません。
それは、私たちが自分自身に感じるから。

 

「つくれない」何かはつくることは出来ません。

自分では「つくれない」ことを認めるのが、コントロールの手放し。エゴの最も恐れること。

 

これは、怖いことなので、一気に進めることは出来ません。

それなりのケアと時間が必要です。

だからこそ毎日少しずつ瞑想を続けること、ワークをすること、ヨガをすること、少しずつの自分との関わりが意味を持ってくるのだと思います。

 

私には、問いかける瞑想、バイロン・ケイティのワークが大きな役割をしてくれています。

そして身体を感じることも、ヨガも、食べることも、抵抗したり執着したりすることなく気づき、受け入れることをお勧めします。

ヴィパッサナー瞑想もとてもお勧めです。

 

私たちは意図して何にもなれない。

それを受け入れたとき、自分の役割を自然と生きている自分がいるのかもしれません。

 


いよいよ5/5、5/6のワークショップが今週末に迫りました。あと、5/16(火)、17(水)は初の平日開催のワークショップです。

最大4名で行う小さなワークショップです。そのため、じっくりと色々なご質問にお答えしながら、皆さんの探求をサポートすることが出来ます。

もう間に合わないかな~、と思っていらっしゃる方、もしくは他の日程がいいな~と思っている方も、もし気になっていたらご相談くださいね。

今回は、より深い思考のみつけ方について一緒にみていくことになりそうです。hooray
ワークの深め方をシェアしていきたいと思っています。

私が、自分にやさしく、自分の弱さやずるさやダメさにやさしくなれたのは、日々のワークがあったからです。
そんな体験をみなさんもいつかしていただけると嬉しいなと思います。
もちろんワークショップに出てすぐに感じる方もいらっしゃるでしょうし、この後2,3年の寝かせが必要な方もいらっしゃるでしょう。そんな将来に向けての、最初の一歩となるといいなと思っています。

気になった方はこちらを読んでみてください↓

ワークショップ東京

 

いよいよ私の大好きな5月になりました❤新緑が美しい大好きな季節。

この季節に相応しい爽やかな風を感じるような今関絵美さんの展示会が渋谷であります。
私の大好きなアーティストさんです。

彼女の感性が、大好きです。彼女の作品に囲まれてお茶が出来たら幸せな気分になりそうです。
詳しい情報はこちらからどうぞ↓

ふたご座のらくがき

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「言葉を失った瞬間だったのに、それがとても物語だった時。」
今関絵美 作品展

<会期>
2017年5月16日(火)〜27日(土) 日・月定休

<時間>
8:00〜20:00

<場所>
森の酵母 パン・オ・スリール
東京都渋谷区渋谷1-4-6 ニュー青山ビル1F
http://pain-au-sourire.jp

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吉田あき

 


温活中

たまにワークとまったく関係ない日々のこと書きたいなと思うけど、ここでそんなこと期待されていないかな。手仕事の話とか、もろもろ、、あるのですよね。ふふふ。ハーブの話とか、ヨガの話とか。

でも、これを試してとってもとっても良い感じなので、ご紹介します。

 

今、湯たんぽにはまっています。

ふとしたことからこの本に出逢い、へぇ~、湯たんぽか~、持っているなぁ~と思い、ここ数日湯たんぽを家の中で持ち歩いています。

「湯たんぽを使う」と美人になる

 

とても心地よいです。

あたたかいお湯をお腹や腰にあてていると、自分の身体がとっても冷えていることが感じられます。

心のケアも大切だけど、身体のケアも大切ですよね。

 

この本によると、大きな筋肉のあるところを温めるのがよいそうです。

お腹、腰、そして太ももの前側、あと二の腕の内側。

じんわり~、あたたかくなります。

 

身体を温めると自然治癒力が高まるそうです。でも、それ以上にこのあたたかさ、幸せ気分をいっぱいくれます❤
女性は子宮系に病気をためこみがちなので、あたためて身体の自然治癒力が上がるようサポートしてあげると自分にやさしい気がしますね。

 

ただ、私の持っているのは無印良品で買った固いプラスチック製。
身体にあたる感じが硬くて色々検索していたらやわらかいゴム製の湯たんぽも発見。

その延長線でみつけたのがこれです↓


よもにん!

お尻を包んであたためてくれる湯たんぽです!
結局プラスチック製の固いものみたいなのですが、お尻って結構冷えているんですよね。

うわぁ~、ほしい~。

でも、ゴム製の湯たんぽも捨てがたい!夜寝る時身体の下においても痛くないし。
苦渋の決断~。

 

どちらにせよ、身体あたためるのはとてもしあわせな気分にさせてくれるのでお勧めです♪

 


いよいよ5/5、5/6のワークショップが今週末に迫りました。

最大4名で行う小さなワークショップです。そのため、じっくりと色々なご質問にお答えしながら、皆さんの探求をサポートすることが出来ます。

もう間に合わないかな~、と思っていらっしゃる方、まだ大丈夫です。参加できます。
もし気が向いたら来てくださいね。

今回は、より深い思考のみつけ方について一緒にみていくことになりそうです。
ワークの深め方をじっくりと一緒にみていきましょう。

問いかけは意地悪な感じでするものではありません。
上の問いかけも、私が自分にやさしく、出てくるものにオープンだったから出てきhoorayた答えです。
やさしく、愛を持って問いかけるということを一度体験してみてほしいです。
そのようなお手伝いが出来たらいいなと思っています。
自分自身に出逢う旅に一緒に出かけませんか?

気になった方はこちらを読んでみてください↓

ワークショップ東京

いよいよ私の大好きな5月になりました❤新緑が美しい大好きな季節。
4月から新しい生活に入られた方は疲れが出やすいときでもあるので、自分にやさしくしてあげてくださいね~。

吉田あき

 

 

 


「神対応」が出来ない訳

先日さま~ずさんの番組で、「○○な状況で神対応をしてください」というテーマで2人があらゆる状況で神対応をするというものがありました。

 

例えば、一方はお医者さんで間違えた薬を処方した揚句、手術する肺を右と左間違えてしまったということを患者さんに告白するのですが、患者さんがそれにアドリブの神対応で応えるというもの。

医者
前回出した薬、あれ、他の人の薬だったんですよ。
患者
あ~。だから具合悪かったんだ!良かった、原因が分かって。でも大丈夫です。(他の患者さんの不調だった)喉の調子は良くなりました!

 

医者
あと、実は手術する肺を右と左間違えてしまいました。どうしましょう?
患者
あ~。そのまんまでいいですよ。手術してから1週間何もなかったってことは大丈夫ってことですよ。

 

ははは。そんな訳ないわ~。
と笑ってしまったし、もしも実際にこれが起きたらそんな対応出来ないだろうなと思って見てたのですが、ふと私の中にある思いがよぎりました。

どうして、このような対応が出来ないことが前提なのだろう?と。

 

もしこれが実際に起きたらきっと「ひどいことをされた」とショックを受け、医師に攻撃的に対応し、家族や友人に「ひどいよね?」と話すことで更に怒りを増長し、「絶対に許してはいけない。訴えないと。泣き寝入りは良くない。」というような反応をする人が多いのではないかなと思います。
とりあえず私はそうなります。

 

でも、(右と左の肺の手術が間違えて行われていたらきちんと再手術はしてもらうでしょうけれど、)このケースのように怒りをぶつけないで、相手に丁寧に、冷静に対応することが、どうして出来ないのでしょう?

「そういうこともありますよね。人間ですものね。じゃ、再手術いつにします?あと、手術費と入院費は病院持ちでお願いしますね。」みたいに。

 

それが出来ないのは、過去に学んだこういうときの対処の方法が自然と出てきて、かつ「とんでもないことが起きる!私はこのせいで死んでしまう!」という未来のイメージを見ているから。

具体的に言うと、下のような思考が瞬時に私たちの頭の中に浮かぶからですよね。

  • とんでもない、起きてはいけないことが私の身に起きた。
  • 私の命が危険にさらされた。
  • このことで私は今後死ぬかもしれない。
  • こんなことは許してはならない。
  • ここでビシッとこちらの姿勢を示さなければ相手は反省しないし、調子に乗る。
  • こういう時は、怒るもの。(ひどいことをされたら怒らなければいけない。)

 

いや、そうなんですよ。もちろんお医者さんの方が100%悪いです。

 

以下、ブルゾンちえみ風に読んでください。笑

ちほの似顔絵アートコラボサービス

そこで怒ることがこの現実を変えますか?

(この間はあの音楽で埋めてくださいね。BGM: Dirty Work♪)

 

変えない。・・・悪化させるだけ。

 

そうなんですよね。怒ることでストレスがより溜まるし、相手も防御的になって頑なになって素直に謝れなくなる。
この硬化した関係では、良いことあまりないんですよね。

 

でも、何故か私たちはこういう時、「怒る」という対処方法を使いたがる。

親やまわりの人から学んだのでしょうね。
こういう時は怒るべきだと。
それが正解の反応だと。

 

そうやって、無意識のうちに信じた考えや価値観をいつの間にか絶対に正しいと信じて、それに基づいて行動してしまっているのが私たちですよね。

でも、もう、私たちは過去の呪縛から目覚めていいんです。
自分でこういうときの対応の仕方を、自分が楽な対応を選び直して良いのです。

 

その方法が、ザ・ワークです。

 

こういう時は怒るべき。
それは本当?

そう問いかけてみてください。

 


以下は、具体的な問いかけの例です。

ご自分の、不当に扱われた、怒らないといけない!と思った過去の出来事をひとつ思い浮かべてください。そしてその出来事が頭でクリアにでてきたら、自分自身に問いかけていきます。

あなた
こういう時は怒るべき。
ファシリテーター
それは本当?
あなた
はい。

ファシリテーター
「こういう時は怒るべき」その考えが絶対に本当だと言い切れますか?

あなた
・・・(時間を取ってよく観察する。)

あなた
いいえ。

ファシリテーター
「こういう時は怒るべき」そう信じている時、その状況であなたはどのように反応しますか?何が起きますか?
あなた
(反応を答えます。以下は例です。)
反射的に怒る。怒ればなんとかなると思う。とりあえず怒りをぶちまけたいと思う。
私はかわいそうだと思う。相手はそのことが良く分かっていないと思う。それを分からせたい為に怒りたい。
と、同時にそんなことで怒っている自分を表さない。すごく怒っているけど、「いいよ。」と言ってみる。心では怒っているのに、態度では示さない。怒りの反応をする自分を恥ずかしいと思い、表現しない。
怒りはあるけれど、表現できないのでフラストレーションを感じる。「私が我慢していること、察してよね!私のやさしさに感謝してよね!」と更に怒りを覚える。
「私怒って当然だよね?」と怒りを正当化したくて友人や家族に話をする。
ファシリテーター
もし同じ状況で「こういう時は怒るべき」という考えを信じていなければあなたはどうなりますか?
あなた
・・・(時間を取って体験してください。頭で嘘の答えを作り上げる必要はゼロです。)
あなた
(以下は例です。みなさんの答えをみつけてください。)
怒らないでいいのは、精神的にすごく楽。
今、どんな気持ちを自分が感じているのかまずはそれを感じてあげられるようになる。
自分が想定していなかったことが起きているので、驚いてどう対応したらいいのか分からなくて困っている自分を感じられる。
「私はかわいそうだ」という思いもなければ、私は大丈夫なことに気づける。私は大丈夫なので、どうしたいかなと自分に落ち着いて聞ける。
私はこの状況でどう反応したいのか自分に聞いてあげられる。
そしてそれに応じて落ち着いて反応できる。
ファシリテーター
「こういう時は怒るべき。」置き換えてください。
あなた
こういう時は怒るべきではない。
ファシリテーター
その具体的な真実に感じる理由を3つ教えてください。
あなた
怒らない方が気持ちが落ち着くから。冷静に次の対応を考えられるから。
あなた
怒ってうまくいったことがなかったから。いつも嫌な気持ちになって終わったから。
あなた
感情的に走らないで、落ち着いて現実的に対応した過去のあの時は、その方がすごく楽だったし、結果うまくいったから。
ファシリテーター
「こういう時は怒るべき。」他の置き換えを教えてください。
あなた
「こういう時は怒るべき」と私の思考は思っている。
あなた
それは知らず知らずのうちに私の中で真実になっていた私の思考に過ぎないから。
あなた
私が思っている、というより、私の思考が思っている、と言った方が真実に近いから。
あなた
催眠術にかけられたみたいに、その「思考」に誘導されていたというのはすごくしっくりくるから。
ファシリテーター
「こういう時は怒るべき。」他に置き換えはありますか?
あなた
こういう時は、黙るべき。(皆さんにしっくりくる「怒る」の反対のことばを入れてみてくださいね。)
あなた
すぐに何らかの反応をしなければいけないと思うので、手っ取り早い「怒る」という行動に今まではすぐ移っていたけれど、黙って少し冷静になる時間があった方がより自分にピッタリくる反応ができそうだから。
あなた
この具体的な状況では、私が怒っても相手はとてもそれを聞けるような状態になかったから。後で落ち着いてから私の伝えたいことを伝えた方がきっと相手に伝わるから。
あなた
実際に私は、怒るということを催眠にかけられたように無意識に行っていただけで、本当は自分がどうしたいのか考えたことがなかったから、考える時間を取れるのはすごく心が落ち着くので。

 

この記事を書きながら、私がワークをさせてもらいました。

皆さんの問いかけはどうなりましたか?
じっくりと時間を取って、答えてみてください。
私の答えと全然異なっていて全く問題ないですので、自由に、探求してみてくださいね。

 


GWの後半にワークショップを行います。

最大4名で行う小さなワークショップです。そのため、じっくりと色々なご質問にお答えしながら、皆さんの探求をサポートすることが出来ます。

問いかけは意地悪な感じでするものではありません。
上の問いかけも、私が自分にやさしく、出てくるものにオープンだったから出てきhoorayた答えです。
やさしく、愛を持って問いかけるということを一度体験してみてほしいです。
そのようなお手伝いが出来たらいいなと思っています。
自分自身に出逢う旅に一緒に出かけませんか?

 

気になった方はこちらを読んでみてください↓

ワークショップ東京

旅に出かけませんか?心の旅に❤

吉田あき

 


傲慢さを受け入れる

最近ふとしたきっかけで、リズ・ブルボーの本を読み返しています。

ずっと昔に買ったけど、あまりよく分からなかった「五つの傷」。今読み返すとすごく良いです。

拒絶されることがとても怖い私は、拒絶の傷の部分を読んで、たくさん思うところがあります。
よい、問いかけのネタがたくさん出てきます。

 

その流れで、「からだの声を聞きなさい」を読み返してみることにしました。
基本的には、大好きです。

 

でも、引き寄せの法則的な、「欲しいものがすでに手に入っていると思っていれば、それは手に入るんです。」的メッセージに違和感を感じました。
実は、昔この本を読んだ時、「そうか!私自身がそうなると信じていれば、私はなんでも手に入れられるんだ!」とこのメッセージにワクワクしたのですが、今はなんだか違和感を感じます。

今はもっと世界を信じている感じです。
「今起きていることが私に必要なこと。」「どんなことが起きても私は大丈夫。」それがワークを通して本当に分かったとき、何かを無理矢理に引き寄せようとしなくてもいいことが分かり、楽になりました。

引き寄せの法則も結構苦しいんですよね。
良いことのみが起きればいいですが、悪いことが起きたと自分で感じると、自分のせいだ、自分の頑張りが足りなかった、となりますから。

 

その部分を除けば、リズ・ブルボーさんのメッセージ良いです。よいです。良い感じです。

前に読んだ時と、入ってくるメッセージが全然異なります。

 

「愛するというのは、他者の願望を---あなたがたとえそれを理解することができず、それに同意することができなくても---そのまま受け入れる、ということなのですよ。」

 

「あなたが他人の空間に侵入する時、あなたは自分の空間を失い、他人もその空間を失います。この時、両者の空間は入り混じり、お互いに息苦しくなるのです。」

 

「同意する、というのは、相手と同じ意見になる、ということです。それに対して、受け入れる、というのは、相手が自分と違う意見を持っているということを認める、ということです。

愛する、ということの本当の意味は、自分のとは違う相手の意見を受け入れる、ということなのです。そして実はこれが人間にとっていちばん難しいことなのです。なぜかといえば、それは、私たちが傲慢だからです。」

 

「あなたが両親や、また他の人に対して恨みを抱き続けているのは、あなたが傲慢だからです。あなたは思い上がっているために、彼らを受け入れることができなかったのです。あなたはおそらく相手が全面的に悪いと考えたのでしょう。」

 

以前は、全く意味が分からなかったし、反発していていたことばたちが、じんわりと入ってきます。

傲慢だと言われるのも嫌でしたし、許すなんてしたくありませんでした。

でも、そうかもしれないとこれらのことばにオープンになっている自分を今は感じます。

 

まだ、この本を読み終えていないのですが、15章に傲慢さについて書いてありました。

とても良い内容です。

 

自分の傲慢さを統御したいと思うのであれば、相手が自分の正しさを強固に主張し始めた時に、あっさりとこだわりを捨てることです。

 

という部分を読んだ時、ケイティのことばを思い出しました。

ケイティはよく、「相手を良い気分にしたいのであれば、彼らが正しいことを認めてあげなさい。」と言っているのですが、それを聞いても私は、「どうして?それじゃぁ私はどうなるの?彼らが正しいことを認めてしまったら私は間違っていることになるの?どうしてそんなことをしないといけないの?」と抵抗していました。

でも、「私のみが正しい」「相手は間違っている」と主張する感じは確かに、痛みを私に与えます。
もしかすると、そこまでして守るものではないのかもしれないと思い始めてきました。

 

引き続き本を読んでみます。

改めて、ザ・ワークに出逢えて、問いかけをし続けてきたことで、このように自分の頑なさが少しずつオープンにやわらかくなってきていることに感謝しました。あー。嬉しい。

 


GWの後半にワークショップを行います。

最大4名で行う小さなワークショップです。そのため、じっくりと色々なご質問にお答えしながら、皆さんの探求をサポートすることが出来ます。

上のような体験をみなさんにもしてもらえたらいいなと心から願っています。

hooray私はこのところ、とても深い探求を行っていて、アウトプットが少なくなっていました。
そんな中でのワークショップなので、みなさんとどんなお話が出来るのか、今から楽しみです。

来てくださいって書こうと思いましたが、うーん。何か違いますね。

来たいと思ったら来てください。そのタイミングだと思ったら。

気になった方はこちらを読んでみてください↓

ワークショップ東京

旅に出かけませんか?心の旅に❤

吉田あき

 


「私は彼らより優れている」を証明したい

強く憧れたり、尊敬している人のいるグループと接するとき、このような体験をしたことはありませんか?

 

477158初めは彼らをとても能力のある素晴らしい人だと思い、彼らに対しての尊敬の念を持ち、彼らと関われることがよろこびとなる。
そして、そのグループに属することで、自分もまた彼らのように特別な存在になれた気がして、積極的にそのグループに関わろうとする。

 

彼らのことを尊敬するあまり、心から自分のことを謙遜する。自分なんてまだまだだと思い、自分の行動を恥ずかしく感じ、彼らの真似をしたり、教えを請うことを喜んでする。

こんな態度が謙虚で可愛く映るため、彼らにも可愛がられ、尊敬される先輩と謙虚な後輩という構図が出来上がり、彼らの関係は良好となる。

 

その後、しばらくはその調子で楽しい時が続いていくが、それが段々と変化を見せ始める。
unsureどうして私がこんなに卑屈にならなければいけないのかと後輩が思い始める。
この人達にだって欠点はあるじゃない?よく見たらこの人達は完璧じゃない。私だけが彼らより低い扱いを受けるのは納得がいかない。私の方が出来ているところもあるし、そもそもこの関係不公平じゃない?
このように気持ちが変化していき、どんどん怒りが増長していき、彼らに対する考え方や姿勢が180度変わり、反抗的になる。

 

そうすると、彼らに対して「私だって出来る」と主張し、自分の弱さを決して見せずに完璧な自分のみを見せようとし始める。
angryしかし、経験が浅い分どう切り抜けて良いのか分からない場所で対応をスムーズに出来なかったり、まだまだ補いきれない経験や技術の足りない部分がどうしても出てきてしまうことがある。
そんな時も、「私だって出来る」と思っているので、彼らからの指摘や支援の声が「あなたはまだまだよ。」という批判の声にしか聞こえなくなる。

 

すると、私たちはより頑なになってこう思う。

「私は彼らより優れていることを証明しなければならない。」

 


 

最近、この流れをそのまま生きていて、そして今まさにグループの彼らに対して怒りで一杯になっている友人とワークをしました。

誰かのファシリテーションをすると、自分では見えないことが良く見えるのでとても自分の為になります。

 

彼女は、経験のよりある先輩に「あなたは一人じゃなくて誰かと一緒に作業することを薦めるわ。」と言われたことに対して怒っていました。

angry2「私は不当に扱われている。」「私たちは平等であるべきだ。」「他の人は皆一人でやっているのに、私だけがそんなことをしたら、お客さんに低く見られる。」「そんな思いをするくらいならこんなグループなんていたくない。自分のやり方で生きてやる!」

彼女の反応はこうでした。

そして、その先輩方と離れて一人でやっていこうと決意していました。
「私はこんな不当な扱いを決して許さない!」と。

 

 

これ、小さい頃の感覚に似ていますね。

許せな~い!

許せな~い!

大人の世界に入って、楽しくて嬉しくて大はしゃぎして、自分と彼らを同等だと思っていたのに、ある日、よく分からない理由で叱られたり、注意されたり、間違っていると指摘されて。自分は彼らより劣っている存在のように扱われていることに気づいて、自分にだってちゃんと出来る、自分は大人と同じようにちゃんと判断し、行動できるんだと主張したくなる。あの感じに。

おそらく、私たちの中にそれが残っているのではないかなと思います。
あの、「不当に扱われたショック」が、怒りが。

 

 

「私は彼らより優れていることを証明しなければならない。」

cryそうやって自分の誇りを守らないと、自分はだめじゃないって証明しないと。
小さい頃からの必死な思いを疑わずに、反応し続けている。

そしてどんなに辛くても誰も頼らずに、自分一人の力だけで乗り切ってみせると頑張り続ける。

 

 

「私は彼らより優れていることを証明しなければならない。」

本当でしょうか?

 

 

この思考、意識していないけれど信じている人多いような気がします。
もしも証明しないでよかったら、人生はどうなりますか?
もしも、意地を張って一人で頑張らなくても良かったとしたら?

 

みなさんももしよかったら問いかけてみてください。
マインドフルネスの状態で、この質問の答えを体験してみてください。
自分がどうなるのか、よく観察してみてください。(思考で行うのではなくて)

 

 

私の場合、「もしもその考えを信じていなかったら、私はどうなるか?」の答えはこうなりました。

relief彼らの指摘をありがたいなと思います。そうか、それならそのやり方でやってみようと彼らの提案にオープンになります。「絶対に彼らの指摘なんか聞くもんか!」という虚勢を張らなくていいので、すごく楽です。
また、可愛い後輩に戻って、でも自分を卑下することなく、謙虚にありがたく試してみようかなと思います。

 

実は、このようにこの考えがなければとても楽になることを知らなかったので、私の人生はずっと虚勢の張りっぱなしでした。
もし自分をこんなに苦しんでまで守らなくても良いならば、なんて人生は楽なのでしょうか。

この問いかけをして驚きました。
絶対に許せないと思っていた人たちを許したらこんな自由が待っているなんて。

 

彼女のファシリテーションをしながら、「すごいことに気づかせてもらえているな」と思っていました。

 

 

こわかったね。

こわかったね。

「私は彼らより優れていることを証明しなければならない。」

いいえ。

 

 

頑なな、私の中の何かが少し解けたようなワークでした。

 

 


GWの後半にワークショップを行います。

最大4名で行う小さなワークショップです。そのため、じっくりと色々なご質問にお答えしながら、皆さんの探求をサポートすることが出来ます。

上のような体験をみなさんにもしてもらえたらいいなと心から願っています。

hooray私はこのところ、とても深い探求を行っていて、アウトプットが少なくなっていました。
そんな中でのワークショップなので、みなさんとどんなお話が出来るのか、今から楽しみです。

来てくださいって書こうと思いましたが、うーん。何か違いますね。

来たいと思ったら来てください。そのタイミングだと思ったら。

 

気になった方はこちらを読んでみてください↓

 

ワークショップ東京

 

もうすぐGW始まりますね。旅も良いですね。素敵な時間をお過ごしください❤

 

吉田あき

 

 

 


グルの終わり

先日ある方のワークのファシリテーションをしていて、ふと私の中から出てきたことば。

「どんなにワークを続けていっても、思考が出てこなくなるということはない。思考は無限に現れ続けるし、その中の多くに私はまた反応するだろう。」

 

aki_400_520これを口に出した時に、ふと頭に浮かんだのは、ジェフ・フォスターもそう言っているし、アジャシャンティーも言っていた。
私の尊敬するティーチャー達もそう言っているもんね。と、自分の経験をティーチャー達のことばによって「正しいもの」にしようとする私のマインドの声。

 

と、同時に、「これが本当に私の経験から出てきた言葉で、ティーチャー達のお墨付きはいらないんだ。」という妙にクリアな納得の声。

 

自分の経験をそのまま口にすればいい。

あのティーチャーが言っているから、このティーチャーもそう言っているから。

そんなバックアップはもう必要ない。

 

ただ、自分に起きている真実を口にすればいい。

 

 

I have nothing to offer.

And yet I keep offering the world.

Because nothing is what I can offer.

 

-Aki


クリアなコミュニケーション

頭の中が過去の情報と、それを基に作りだした未来の予想図で一杯なのが私たちです。
今、この瞬間を感じることはほぼ不可能な状態で生きています。
今、この瞬間目にしたものに瞬時に過去の意味づけを乗せ、そして未来を予測します。

 

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えっとね。あのね。ああ、そうそう。あー、これは嫌だなー。でもあれは手放したくない。楽したい―。でも嫌われたくない―。ぶつぶつ。ぶつぶつ。あー。これダメだ。自分が何考えてるか分からない。

それは、私たちが止めようとして止められるものではないものなのかなと思います。
あ、でもよく悟りとかで「今、ここに生きよう」といってトレーニングされている方がいらっしゃいますよね。
そのトレーニングとも似たところがありますね、ワークも。
止めることは出来ないけど、気づいていくことは出来る、そんな感じでしょうか?

 

トレーニングのようなものかもしれません。
最初は抵抗感じるけれど、気づいていく、気づいていく、気づいていく。
ワークは続けないと、その本当の効果を感じられないかもしれないなと個人的には思います。

 

 

あっと、脱線しました。

話を元に戻しますと、今日お話ししたいのはクリアなコミュニケーションについてです。頭が過去の情報と未来の予測で一杯になっている時、クリアな分かりやすいコミュニケーションを取ることが難しいなと思うことがあったのでブログに書いてみることにしました。

 


 

それはこんなことです。

 

私はワークのヘルプラインという無料のファシリテーションをたまに行っているのですが、先日「Hi」とだけ英語で送ってくる方がいらっしゃいました。それに私は「Hello」と答えました。

するとしばらくして「ワーク?」と送られてきました。

 

 

ここで空気を読むのが得意な日本人の私はかつて、「あ、彼はワークをしたいのだな。」と彼の領域に入り、予測してその人の望むことを先取りして行ってあげていたのですが、ワークを長く続けているとその「空気を読む」という行動が苦しみや混乱の原因であることに気づくようになり、今ではきちんと相手の意図を確認するようになりました。

お互いに誤解のないクリアなコミュニケーションです。

 

ですので、「あなたは私とワークをしたいのですか?」と書きました。
すると彼から「Yes」の返事が。ようやくクリアなメッセージです。

 

これで、ようやくそれを元に、今可能なのか検討に入れます。

 

このように、自分の要求を伝える時は、余計な「この人はこういうことを言いたいのかな。それってどういう意図で言っているのかな?」と相手に考えさせてしまうその手間を省いてあげた方がずっと親切だと思いませんか?

ビジネスの中でも、普段の家族とのコミュニケーションでも、とても感謝されると思います。

 

 

でも、自分の中が過去の情報と未来の危惧で一杯になっていると、それが出来ないのですよね。

「えっと、えっと、過去にはっきり直接聞いて断られて嫌な思いをしたよね。」とか「こういう時は相手が空気を読んで察するものだよね。」とか「はっきり言うと角が立つかもしれないしな。」「図々しいと思われたくないから曖昧になんとなく伝わるようにしよう。」とか瞬時に自分でそんなことを考えているとは気づかないほどの思考が頭の中で走り、怖くなって「ワーク?」なんて分かるようで分からないメッセージを送ってしまったりする訳です。

 

どうしてそれが分かるかって?もちろん私もそれをやっているからです。

 

 

 

でもね、

 

「あなたとワークをしたいのですが、今お時間ありますか?もしも今お忙しいようなら、いつが可能か後からご連絡いただけますか?」

 

という文章と

 

「ワーク?」

 

という文章どちらが好きですか?

私は前者です。
そういうはきはきして分かりやすいメッセージが伝えられる人に憧れます。そうなりたいです。
相手の読解力に期待して曖昧なメッセージを送り、相手がそれを理解しなかった時にがっかりするのはもううんざりです。

 

 

頭の中の混乱が少しずつ減っていくと頭の中がクリアになります。
最初は百億個(本当はもっとずっと多いけど)の1個が減ったところで何の変化も感じませんが、百億個の千個くらい探求して思考が静かになると、少しずつ呼吸が出来るようになってきます。また千個、更に千個そして更に千個と探求していくうちに、まずは周りの人の曖昧なコミュニケーションに気づくようになってきます。

私は今まさにここにいる訳です。

 

やたら人の曖昧なメッセージに目が行くわけです。そして「許せない~。なんか嫌~。」となります。

そんな時私はもちろんジャッジメント・ワークシートを書きます。
そしてその人に対する批判を4つの質問と置き換えで探求していきます。

すると、「あれ?そんなことを言っている私のコミュニケーションは果たしてクリアなのだろうか?」と気づかされていくのです。

つまり、更に私の思考が静かになり、私のコミュニケーション方法を振り返ることが出来るようになるのです。

 

 

 

今日のこのブログは皆さんに「曖昧なメッセージは相手にも自分にも負担になるからやめようね~。」というメッセージになるのかなと思っていたら、結局は私自身に返ってきてしまいましたね。

 

はい。この方に対してジャッジメント・ワークシートを書いて探求をして、彼から多くのことを学び、クリアなコミュニケーションを学ぼうと思います。ワークシートの3番で彼に「クリアなコミュニケーションをとるために、あなたは○○すべきだ」と助言をあげますが、ここが私にとってもよい助言になるのです。

 

「彼は頭の中を整理するべきだ。」

「彼は自分の恐れが自分の株を下げていることに気づくべきだ。」

「要求を分かりやすく伝えるべきだ。」

「伝える相手に恐れを感じているのならばワークをするべきだ。」

 

など。全て私にとって的確で役に立つ助言になります。

 

 

ワークをすると、このように解決策を手に入れることも出来ます。よりもっと具体的な解決策も探せます。
という訳で、私自身のクリアなコミュニケーションの為に、彼を批判し、探求してみたいと思います❤楽しみです!

 

 

さて、ワークショップとバイロン・ケイティのビデオイベントの日程が新しくなりました。

 

4/15(土)夜に先日告知していた、死に関するワークのケイティのファシリテーションを紹介しようと思っています。

バイロン・ケイティのビデオを見る会

 

そしてワークショップの新しい日程が出ました。

4月22日23日 と 5月5日6日 そして 5月16日17日 の3日程でワークショップをまた行います。

前回と同じく最大4名の小規模ワークショップです。

5月16日17日は平日開催なので、平日の方が都合の良い方は是非お越しください。

5月5日6日は個人的に、GWの最後のよい過ごし方だな~❤と思います。

 

ワークをじっくりと体験していただく、私の今までの体験を全部詰め込んでお送りするワークショップです。

4名で体験出来るのはとてもお得です。

是非いらしてください。お待ちしています。

(パチパチ!なんとクリアなコミュニケーション!)

詳細はこちらからご覧ください。↓

ワークショップ東京

 

今週は東京は桜が満開です。春がきましたね。

吉田あき

 

 


「私は大丈夫」

先日、セッションを受けてくださったSさん、その中でとても興味深いことがあったので、Sさんのご承諾を得てブログでご紹介させていただきます。ありがとうございます、Sさん。

 

Sさんは「すごく楽しいことをしていたら、お母さんにものすごく怒られた。不当な扱いを受けた。」という思いを持ち続けていた思い出がいくつかあるのですが、その中のひとつが、3歳か4歳の頃、大人用の深いプールに飛び込んで水の中を沈んでいくことが楽しかったので、お母さんに怒られても、それがどうして悪いことか全く納得がいかなかったというものでした。

 


「悪気があってやったんじゃないのに怒られた」と親に対して私たちは怒っていることがいくつかあると思うのですが、この例はそんな子供と親の行き違いをとても分かりやすく表しているように思いました。

 


 

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水の中の静かさ。光の屈折。身体が重さを感じない自由さ。覚えてますか?

Sさんによると、水の中に沈んでいく体験は、とても美しくてキラキラとしていてもうずっとここにいたいなぁと思うほどのものだったそうです。そして、3歳か4歳のSさんにとって、死というものは悪いものではなかったからか、Sさんは「私は大丈夫」だと本当に分かっていたそうです。

 

反してお母様の方は、自分の小さい子供が大人用の深いプールにゆっくりと沈んでいくのを目の前で見ているのですから半狂乱です。もうそれは怒られたそうです。お母様にとっては死はよくないものだという思いがあったと思われます。

 

子供のSさんの立場から見ると、この事件は、「楽しいことをしていたらお母さんにものすごく怒られて、ごめんなさいを強要されたひどい思い出」として残りました。「お母さんは、『私は大丈夫』なのに怒るべきではない」と思うようになりました。

お母さんの立場から見ると、「放っておいたらどんどん危険なことをしにいく我が子、今後危険な目に逢わせないためにきつく叱っておかなければ。」という思いの行動だったのではないかと思います。

 


こうやって両方の立場から見ると、どちらも悪くないことが分かりますよね。でも、私たちは悲しいかな、どちらかの立場にしか立てません。

だから、子供が、「こっちの気持ちも分からずに一方的に自分の考えを押し付けてきて、親って信じられない。私の気持ちをちっとも分かろうとしない。」という思いをもつのは普通ですし、

親が「こんなに何度も叱っているのに、ちっとも分かろうとしない。この子は死の恐怖を知らないに違いない。死がとても悪いものだということを教えなければすぐに死んでしまうだろう。子供だからまだ何も知らないのだ。」という思いを持つのも普通でしょう。

 

どちらも自分の考えを信じていて、どちらもそれに従って行動しただけ。
どちらも悪くない。どちらも正解で、どちらも間違っているとも言えますよね。

 

これを一方の立場だけを信じて、「こっちが正解なんだから、あなたは間違っている!」とやっているのが私たちですね。

 


ワークは、どちらか一方の立場からしか見えていなかった出来事を両方の立場から見れるようになる機会のように思えます。両方の立場に立てるようになる気がします。

 


 

Sさんのケースでは、Sさんは「自分は大丈夫」と思っていて、それが悪かった訳ではないのです。
ただ、お母さんは全然違う観点から見ていただけ。

お母さんは「この子は危ない」と思っていて、それが悪かった訳ではありません。
Sさんは死すら大丈夫だと思っていたので、全く観点が違っただけです。

 

同じ一つの出来事だけど、基本にあるものが違うから、すれ違っただけ。
どちらも今を一生懸命生きただけ。

 

このことに関してなんだか色々思いが浮かんできて、色々とここに書きたかったのですが、とりあえず今日はこんなところです。

 

Sさんはお母さんの気持ちが分かって、お母さんを取り戻したことがとても嬉しそうで、かつ「私、本当は溺れてたかもしれないんだぁ~!」とキラキラとまた嬉しそうに子供のような笑顔を浮かべてセッションを終えられました。

 

水の中のキラキラした感じ。私も少し思い出しました。

今度のビデオイベントで、ビデオ映像はないけれど音声があるので、水の事故で生徒を亡くしてしまった先生のワークをやりたいと思います。ふと思いつきました。

吉田あき