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公認ファシリテーターがシェアするワークのこと諸々

「神対応」が出来ない訳

先日さま~ずさんの番組で、「○○な状況で神対応をしてください」というテーマで2人があらゆる状況で神対応をするというものがありました。

 

例えば、一方はお医者さんで間違えた薬を処方した揚句、手術する肺を右と左間違えてしまったということを患者さんに告白するのですが、患者さんがそれにアドリブの神対応で応えるというもの。

医者
前回出した薬、あれ、他の人の薬だったんですよ。
患者
あ~。だから具合悪かったんだ!良かった、原因が分かって。でも大丈夫です。(他の患者さんの不調だった)喉の調子は良くなりました!

 

医者
あと、実は手術する肺を右と左間違えてしまいました。どうしましょう?
患者
あ~。そのまんまでいいですよ。手術してから1週間何もなかったってことは大丈夫ってことですよ。

 

ははは。そんな訳ないわ~。
と笑ってしまったし、もしも実際にこれが起きたらそんな対応出来ないだろうなと思って見てたのですが、ふと私の中にある思いがよぎりました。

どうして、このような対応が出来ないことが前提なのだろう?と。

 

もしこれが実際に起きたらきっと「ひどいことをされた」とショックを受け、医師に攻撃的に対応し、家族や友人に「ひどいよね?」と話すことで更に怒りを増長し、「絶対に許してはいけない。訴えないと。泣き寝入りは良くない。」というような反応をする人が多いのではないかなと思います。
とりあえず私はそうなります。

 

でも、(右と左の肺の手術が間違えて行われていたらきちんと再手術はしてもらうでしょうけれど、)このケースのように怒りをぶつけないで、相手に丁寧に、冷静に対応することが、どうして出来ないのでしょう?

「そういうこともありますよね。人間ですものね。じゃ、再手術いつにします?あと、手術費と入院費は病院持ちでお願いしますね。」みたいに。

 

それが出来ないのは、過去に学んだこういうときの対処の方法が自然と出てきて、かつ「とんでもないことが起きる!私はこのせいで死んでしまう!」という未来のイメージを見ているから。

具体的に言うと、下のような思考が瞬時に私たちの頭の中に浮かぶからですよね。

  • とんでもない、起きてはいけないことが私の身に起きた。
  • 私の命が危険にさらされた。
  • このことで私は今後死ぬかもしれない。
  • こんなことは許してはならない。
  • ここでビシッとこちらの姿勢を示さなければ相手は反省しないし、調子に乗る。
  • こういう時は、怒るもの。(ひどいことをされたら怒らなければいけない。)

 

いや、そうなんですよ。もちろんお医者さんの方が100%悪いです。

 

以下、ブルゾンちえみ風に読んでください。笑

ちほの似顔絵アートコラボサービス

そこで怒ることがこの現実を変えますか?

(この間はあの音楽で埋めてくださいね。BGM: Dirty Work♪)

 

変えない。・・・悪化させるだけ。

 

そうなんですよね。怒ることでストレスがより溜まるし、相手も防御的になって頑なになって素直に謝れなくなる。
この硬化した関係では、良いことあまりないんですよね。

 

でも、何故か私たちはこういう時、「怒る」という対処方法を使いたがる。

親やまわりの人から学んだのでしょうね。
こういう時は怒るべきだと。
それが正解の反応だと。

 

そうやって、無意識のうちに信じた考えや価値観をいつの間にか絶対に正しいと信じて、それに基づいて行動してしまっているのが私たちですよね。

でも、もう、私たちは過去の呪縛から目覚めていいんです。
自分でこういうときの対応の仕方を、自分が楽な対応を選び直して良いのです。

 

その方法が、ザ・ワークです。

 

こういう時は怒るべき。
それは本当?

そう問いかけてみてください。

 


以下は、具体的な問いかけの例です。

ご自分の、不当に扱われた、怒らないといけない!と思った過去の出来事をひとつ思い浮かべてください。そしてその出来事が頭でクリアにでてきたら、自分自身に問いかけていきます。

あなた
こういう時は怒るべき。
ファシリテーター
それは本当?
あなた
はい。

ファシリテーター
「こういう時は怒るべき」その考えが絶対に本当だと言い切れますか?

あなた
・・・(時間を取ってよく観察する。)

あなた
いいえ。

ファシリテーター
「こういう時は怒るべき」そう信じている時、その状況であなたはどのように反応しますか?何が起きますか?
あなた
(反応を答えます。以下は例です。)
反射的に怒る。怒ればなんとかなると思う。とりあえず怒りをぶちまけたいと思う。
私はかわいそうだと思う。相手はそのことが良く分かっていないと思う。それを分からせたい為に怒りたい。
と、同時にそんなことで怒っている自分を表さない。すごく怒っているけど、「いいよ。」と言ってみる。心では怒っているのに、態度では示さない。怒りの反応をする自分を恥ずかしいと思い、表現しない。
怒りはあるけれど、表現できないのでフラストレーションを感じる。「私が我慢していること、察してよね!私のやさしさに感謝してよね!」と更に怒りを覚える。
「私怒って当然だよね?」と怒りを正当化したくて友人や家族に話をする。
ファシリテーター
もし同じ状況で「こういう時は怒るべき」という考えを信じていなければあなたはどうなりますか?
あなた
・・・(時間を取って体験してください。頭で嘘の答えを作り上げる必要はゼロです。)
あなた
(以下は例です。みなさんの答えをみつけてください。)
怒らないでいいのは、精神的にすごく楽。
今、どんな気持ちを自分が感じているのかまずはそれを感じてあげられるようになる。
自分が想定していなかったことが起きているので、驚いてどう対応したらいいのか分からなくて困っている自分を感じられる。
「私はかわいそうだ」という思いもなければ、私は大丈夫なことに気づける。私は大丈夫なので、どうしたいかなと自分に落ち着いて聞ける。
私はこの状況でどう反応したいのか自分に聞いてあげられる。
そしてそれに応じて落ち着いて反応できる。
ファシリテーター
「こういう時は怒るべき。」置き換えてください。
あなた
こういう時は怒るべきではない。
ファシリテーター
その具体的な真実に感じる理由を3つ教えてください。
あなた
怒らない方が気持ちが落ち着くから。冷静に次の対応を考えられるから。
あなた
怒ってうまくいったことがなかったから。いつも嫌な気持ちになって終わったから。
あなた
感情的に走らないで、落ち着いて現実的に対応した過去のあの時は、その方がすごく楽だったし、結果うまくいったから。
ファシリテーター
「こういう時は怒るべき。」他の置き換えを教えてください。
あなた
「こういう時は怒るべき」と私の思考は思っている。
あなた
それは知らず知らずのうちに私の中で真実になっていた私の思考に過ぎないから。
あなた
私が思っている、というより、私の思考が思っている、と言った方が真実に近いから。
あなた
催眠術にかけられたみたいに、その「思考」に誘導されていたというのはすごくしっくりくるから。
ファシリテーター
「こういう時は怒るべき。」他に置き換えはありますか?
あなた
こういう時は、黙るべき。(皆さんにしっくりくる「怒る」の反対のことばを入れてみてくださいね。)
あなた
すぐに何らかの反応をしなければいけないと思うので、手っ取り早い「怒る」という行動に今まではすぐ移っていたけれど、黙って少し冷静になる時間があった方がより自分にピッタリくる反応ができそうだから。
あなた
この具体的な状況では、私が怒っても相手はとてもそれを聞けるような状態になかったから。後で落ち着いてから私の伝えたいことを伝えた方がきっと相手に伝わるから。
あなた
実際に私は、怒るということを催眠にかけられたように無意識に行っていただけで、本当は自分がどうしたいのか考えたことがなかったから、考える時間を取れるのはすごく心が落ち着くので。

 

この記事を書きながら、私がワークをさせてもらいました。

皆さんの問いかけはどうなりましたか?
じっくりと時間を取って、答えてみてください。
私の答えと全然異なっていて全く問題ないですので、自由に、探求してみてくださいね。

 


GWの後半にワークショップを行います。

最大4名で行う小さなワークショップです。そのため、じっくりと色々なご質問にお答えしながら、皆さんの探求をサポートすることが出来ます。

問いかけは意地悪な感じでするものではありません。
上の問いかけも、私が自分にやさしく、出てくるものにオープンだったから出てきhoorayた答えです。
やさしく、愛を持って問いかけるということを一度体験してみてほしいです。
そのようなお手伝いが出来たらいいなと思っています。
自分自身に出逢う旅に一緒に出かけませんか?

 

気になった方はこちらを読んでみてください↓

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旅に出かけませんか?心の旅に❤

吉田あき

 


傲慢さを受け入れる

最近ふとしたきっかけで、リズ・ブルボーの本を読み返しています。

ずっと昔に買ったけど、あまりよく分からなかった「五つの傷」。今読み返すとすごく良いです。

拒絶されることがとても怖い私は、拒絶の傷の部分を読んで、たくさん思うところがあります。
よい、問いかけのネタがたくさん出てきます。

 

その流れで、「からだの声を聞きなさい」を読み返してみることにしました。
基本的には、大好きです。

 

でも、引き寄せの法則的な、「欲しいものがすでに手に入っていると思っていれば、それは手に入るんです。」的メッセージに違和感を感じました。
実は、昔この本を読んだ時、「そうか!私自身がそうなると信じていれば、私はなんでも手に入れられるんだ!」とこのメッセージにワクワクしたのですが、今はなんだか違和感を感じます。

今はもっと世界を信じている感じです。
「今起きていることが私に必要なこと。」「どんなことが起きても私は大丈夫。」それがワークを通して本当に分かったとき、何かを無理矢理に引き寄せようとしなくてもいいことが分かり、楽になりました。

引き寄せの法則も結構苦しいんですよね。
良いことのみが起きればいいですが、悪いことが起きたと自分で感じると、自分のせいだ、自分の頑張りが足りなかった、となりますから。

 

その部分を除けば、リズ・ブルボーさんのメッセージ良いです。よいです。良い感じです。

前に読んだ時と、入ってくるメッセージが全然異なります。

 

「愛するというのは、他者の願望を---あなたがたとえそれを理解することができず、それに同意することができなくても---そのまま受け入れる、ということなのですよ。」

 

「あなたが他人の空間に侵入する時、あなたは自分の空間を失い、他人もその空間を失います。この時、両者の空間は入り混じり、お互いに息苦しくなるのです。」

 

「同意する、というのは、相手と同じ意見になる、ということです。それに対して、受け入れる、というのは、相手が自分と違う意見を持っているということを認める、ということです。

愛する、ということの本当の意味は、自分のとは違う相手の意見を受け入れる、ということなのです。そして実はこれが人間にとっていちばん難しいことなのです。なぜかといえば、それは、私たちが傲慢だからです。」

 

「あなたが両親や、また他の人に対して恨みを抱き続けているのは、あなたが傲慢だからです。あなたは思い上がっているために、彼らを受け入れることができなかったのです。あなたはおそらく相手が全面的に悪いと考えたのでしょう。」

 

以前は、全く意味が分からなかったし、反発していていたことばたちが、じんわりと入ってきます。

傲慢だと言われるのも嫌でしたし、許すなんてしたくありませんでした。

でも、そうかもしれないとこれらのことばにオープンになっている自分を今は感じます。

 

まだ、この本を読み終えていないのですが、15章に傲慢さについて書いてありました。

とても良い内容です。

 

自分の傲慢さを統御したいと思うのであれば、相手が自分の正しさを強固に主張し始めた時に、あっさりとこだわりを捨てることです。

 

という部分を読んだ時、ケイティのことばを思い出しました。

ケイティはよく、「相手を良い気分にしたいのであれば、彼らが正しいことを認めてあげなさい。」と言っているのですが、それを聞いても私は、「どうして?それじゃぁ私はどうなるの?彼らが正しいことを認めてしまったら私は間違っていることになるの?どうしてそんなことをしないといけないの?」と抵抗していました。

でも、「私のみが正しい」「相手は間違っている」と主張する感じは確かに、痛みを私に与えます。
もしかすると、そこまでして守るものではないのかもしれないと思い始めてきました。

 

引き続き本を読んでみます。

改めて、ザ・ワークに出逢えて、問いかけをし続けてきたことで、このように自分の頑なさが少しずつオープンにやわらかくなってきていることに感謝しました。あー。嬉しい。

 


GWの後半にワークショップを行います。

最大4名で行う小さなワークショップです。そのため、じっくりと色々なご質問にお答えしながら、皆さんの探求をサポートすることが出来ます。

上のような体験をみなさんにもしてもらえたらいいなと心から願っています。

hooray私はこのところ、とても深い探求を行っていて、アウトプットが少なくなっていました。
そんな中でのワークショップなので、みなさんとどんなお話が出来るのか、今から楽しみです。

来てくださいって書こうと思いましたが、うーん。何か違いますね。

来たいと思ったら来てください。そのタイミングだと思ったら。

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吉田あき

 


「私は彼らより優れている」を証明したい

強く憧れたり、尊敬している人のいるグループと接するとき、このような体験をしたことはありませんか?

 

477158初めは彼らをとても能力のある素晴らしい人だと思い、彼らに対しての尊敬の念を持ち、彼らと関われることがよろこびとなる。
そして、そのグループに属することで、自分もまた彼らのように特別な存在になれた気がして、積極的にそのグループに関わろうとする。

 

彼らのことを尊敬するあまり、心から自分のことを謙遜する。自分なんてまだまだだと思い、自分の行動を恥ずかしく感じ、彼らの真似をしたり、教えを請うことを喜んでする。

こんな態度が謙虚で可愛く映るため、彼らにも可愛がられ、尊敬される先輩と謙虚な後輩という構図が出来上がり、彼らの関係は良好となる。

 

その後、しばらくはその調子で楽しい時が続いていくが、それが段々と変化を見せ始める。
unsureどうして私がこんなに卑屈にならなければいけないのかと後輩が思い始める。
この人達にだって欠点はあるじゃない?よく見たらこの人達は完璧じゃない。私だけが彼らより低い扱いを受けるのは納得がいかない。私の方が出来ているところもあるし、そもそもこの関係不公平じゃない?
このように気持ちが変化していき、どんどん怒りが増長していき、彼らに対する考え方や姿勢が180度変わり、反抗的になる。

 

そうすると、彼らに対して「私だって出来る」と主張し、自分の弱さを決して見せずに完璧な自分のみを見せようとし始める。
angryしかし、経験が浅い分どう切り抜けて良いのか分からない場所で対応をスムーズに出来なかったり、まだまだ補いきれない経験や技術の足りない部分がどうしても出てきてしまうことがある。
そんな時も、「私だって出来る」と思っているので、彼らからの指摘や支援の声が「あなたはまだまだよ。」という批判の声にしか聞こえなくなる。

 

すると、私たちはより頑なになってこう思う。

「私は彼らより優れていることを証明しなければならない。」

 


 

最近、この流れをそのまま生きていて、そして今まさにグループの彼らに対して怒りで一杯になっている友人とワークをしました。

誰かのファシリテーションをすると、自分では見えないことが良く見えるのでとても自分の為になります。

 

彼女は、経験のよりある先輩に「あなたは一人じゃなくて誰かと一緒に作業することを薦めるわ。」と言われたことに対して怒っていました。

angry2「私は不当に扱われている。」「私たちは平等であるべきだ。」「他の人は皆一人でやっているのに、私だけがそんなことをしたら、お客さんに低く見られる。」「そんな思いをするくらいならこんなグループなんていたくない。自分のやり方で生きてやる!」

彼女の反応はこうでした。

そして、その先輩方と離れて一人でやっていこうと決意していました。
「私はこんな不当な扱いを決して許さない!」と。

 

 

これ、小さい頃の感覚に似ていますね。

許せな~い!

許せな~い!

大人の世界に入って、楽しくて嬉しくて大はしゃぎして、自分と彼らを同等だと思っていたのに、ある日、よく分からない理由で叱られたり、注意されたり、間違っていると指摘されて。自分は彼らより劣っている存在のように扱われていることに気づいて、自分にだってちゃんと出来る、自分は大人と同じようにちゃんと判断し、行動できるんだと主張したくなる。あの感じに。

おそらく、私たちの中にそれが残っているのではないかなと思います。
あの、「不当に扱われたショック」が、怒りが。

 

 

「私は彼らより優れていることを証明しなければならない。」

cryそうやって自分の誇りを守らないと、自分はだめじゃないって証明しないと。
小さい頃からの必死な思いを疑わずに、反応し続けている。

そしてどんなに辛くても誰も頼らずに、自分一人の力だけで乗り切ってみせると頑張り続ける。

 

 

「私は彼らより優れていることを証明しなければならない。」

本当でしょうか?

 

 

この思考、意識していないけれど信じている人多いような気がします。
もしも証明しないでよかったら、人生はどうなりますか?
もしも、意地を張って一人で頑張らなくても良かったとしたら?

 

みなさんももしよかったら問いかけてみてください。
マインドフルネスの状態で、この質問の答えを体験してみてください。
自分がどうなるのか、よく観察してみてください。(思考で行うのではなくて)

 

 

私の場合、「もしもその考えを信じていなかったら、私はどうなるか?」の答えはこうなりました。

relief彼らの指摘をありがたいなと思います。そうか、それならそのやり方でやってみようと彼らの提案にオープンになります。「絶対に彼らの指摘なんか聞くもんか!」という虚勢を張らなくていいので、すごく楽です。
また、可愛い後輩に戻って、でも自分を卑下することなく、謙虚にありがたく試してみようかなと思います。

 

実は、このようにこの考えがなければとても楽になることを知らなかったので、私の人生はずっと虚勢の張りっぱなしでした。
もし自分をこんなに苦しんでまで守らなくても良いならば、なんて人生は楽なのでしょうか。

この問いかけをして驚きました。
絶対に許せないと思っていた人たちを許したらこんな自由が待っているなんて。

 

彼女のファシリテーションをしながら、「すごいことに気づかせてもらえているな」と思っていました。

 

 

こわかったね。

こわかったね。

「私は彼らより優れていることを証明しなければならない。」

いいえ。

 

 

頑なな、私の中の何かが少し解けたようなワークでした。

 

 


GWの後半にワークショップを行います。

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上のような体験をみなさんにもしてもらえたらいいなと心から願っています。

hooray私はこのところ、とても深い探求を行っていて、アウトプットが少なくなっていました。
そんな中でのワークショップなので、みなさんとどんなお話が出来るのか、今から楽しみです。

来てくださいって書こうと思いましたが、うーん。何か違いますね。

来たいと思ったら来てください。そのタイミングだと思ったら。

 

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ワークショップ東京

 

もうすぐGW始まりますね。旅も良いですね。素敵な時間をお過ごしください❤

 

吉田あき

 

 

 


グルの終わり

先日ある方のワークのファシリテーションをしていて、ふと私の中から出てきたことば。

「どんなにワークを続けていっても、思考が出てこなくなるということはない。思考は無限に現れ続けるし、その中の多くに私はまた反応するだろう。」

 

aki_400_520これを口に出した時に、ふと頭に浮かんだのは、ジェフ・フォスターもそう言っているし、アジャシャンティーも言っていた。
私の尊敬するティーチャー達もそう言っているもんね。と、自分の経験をティーチャー達のことばによって「正しいもの」にしようとする私のマインドの声。

 

と、同時に、「これが本当に私の経験から出てきた言葉で、ティーチャー達のお墨付きはいらないんだ。」という妙にクリアな納得の声。

 

自分の経験をそのまま口にすればいい。

あのティーチャーが言っているから、このティーチャーもそう言っているから。

そんなバックアップはもう必要ない。

 

ただ、自分に起きている真実を口にすればいい。

 

 

I have nothing to offer.

And yet I keep offering the world.

Because nothing is what I can offer.

 

-Aki


クリアなコミュニケーション

頭の中が過去の情報と、それを基に作りだした未来の予想図で一杯なのが私たちです。
今、この瞬間を感じることはほぼ不可能な状態で生きています。
今、この瞬間目にしたものに瞬時に過去の意味づけを乗せ、そして未来を予測します。

 

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えっとね。あのね。ああ、そうそう。あー、これは嫌だなー。でもあれは手放したくない。楽したい―。でも嫌われたくない―。ぶつぶつ。ぶつぶつ。あー。これダメだ。自分が何考えてるか分からない。

それは、私たちが止めようとして止められるものではないものなのかなと思います。
あ、でもよく悟りとかで「今、ここに生きよう」といってトレーニングされている方がいらっしゃいますよね。
そのトレーニングとも似たところがありますね、ワークも。
止めることは出来ないけど、気づいていくことは出来る、そんな感じでしょうか?

 

トレーニングのようなものかもしれません。
最初は抵抗感じるけれど、気づいていく、気づいていく、気づいていく。
ワークは続けないと、その本当の効果を感じられないかもしれないなと個人的には思います。

 

 

あっと、脱線しました。

話を元に戻しますと、今日お話ししたいのはクリアなコミュニケーションについてです。頭が過去の情報と未来の予測で一杯になっている時、クリアな分かりやすいコミュニケーションを取ることが難しいなと思うことがあったのでブログに書いてみることにしました。

 


 

それはこんなことです。

 

私はワークのヘルプラインという無料のファシリテーションをたまに行っているのですが、先日「Hi」とだけ英語で送ってくる方がいらっしゃいました。それに私は「Hello」と答えました。

するとしばらくして「ワーク?」と送られてきました。

 

 

ここで空気を読むのが得意な日本人の私はかつて、「あ、彼はワークをしたいのだな。」と彼の領域に入り、予測してその人の望むことを先取りして行ってあげていたのですが、ワークを長く続けているとその「空気を読む」という行動が苦しみや混乱の原因であることに気づくようになり、今ではきちんと相手の意図を確認するようになりました。

お互いに誤解のないクリアなコミュニケーションです。

 

ですので、「あなたは私とワークをしたいのですか?」と書きました。
すると彼から「Yes」の返事が。ようやくクリアなメッセージです。

 

これで、ようやくそれを元に、今可能なのか検討に入れます。

 

このように、自分の要求を伝える時は、余計な「この人はこういうことを言いたいのかな。それってどういう意図で言っているのかな?」と相手に考えさせてしまうその手間を省いてあげた方がずっと親切だと思いませんか?

ビジネスの中でも、普段の家族とのコミュニケーションでも、とても感謝されると思います。

 

 

でも、自分の中が過去の情報と未来の危惧で一杯になっていると、それが出来ないのですよね。

「えっと、えっと、過去にはっきり直接聞いて断られて嫌な思いをしたよね。」とか「こういう時は相手が空気を読んで察するものだよね。」とか「はっきり言うと角が立つかもしれないしな。」「図々しいと思われたくないから曖昧になんとなく伝わるようにしよう。」とか瞬時に自分でそんなことを考えているとは気づかないほどの思考が頭の中で走り、怖くなって「ワーク?」なんて分かるようで分からないメッセージを送ってしまったりする訳です。

 

どうしてそれが分かるかって?もちろん私もそれをやっているからです。

 

 

 

でもね、

 

「あなたとワークをしたいのですが、今お時間ありますか?もしも今お忙しいようなら、いつが可能か後からご連絡いただけますか?」

 

という文章と

 

「ワーク?」

 

という文章どちらが好きですか?

私は前者です。
そういうはきはきして分かりやすいメッセージが伝えられる人に憧れます。そうなりたいです。
相手の読解力に期待して曖昧なメッセージを送り、相手がそれを理解しなかった時にがっかりするのはもううんざりです。

 

 

頭の中の混乱が少しずつ減っていくと頭の中がクリアになります。
最初は百億個(本当はもっとずっと多いけど)の1個が減ったところで何の変化も感じませんが、百億個の千個くらい探求して思考が静かになると、少しずつ呼吸が出来るようになってきます。また千個、更に千個そして更に千個と探求していくうちに、まずは周りの人の曖昧なコミュニケーションに気づくようになってきます。

私は今まさにここにいる訳です。

 

やたら人の曖昧なメッセージに目が行くわけです。そして「許せない~。なんか嫌~。」となります。

そんな時私はもちろんジャッジメント・ワークシートを書きます。
そしてその人に対する批判を4つの質問と置き換えで探求していきます。

すると、「あれ?そんなことを言っている私のコミュニケーションは果たしてクリアなのだろうか?」と気づかされていくのです。

つまり、更に私の思考が静かになり、私のコミュニケーション方法を振り返ることが出来るようになるのです。

 

 

 

今日のこのブログは皆さんに「曖昧なメッセージは相手にも自分にも負担になるからやめようね~。」というメッセージになるのかなと思っていたら、結局は私自身に返ってきてしまいましたね。

 

はい。この方に対してジャッジメント・ワークシートを書いて探求をして、彼から多くのことを学び、クリアなコミュニケーションを学ぼうと思います。ワークシートの3番で彼に「クリアなコミュニケーションをとるために、あなたは○○すべきだ」と助言をあげますが、ここが私にとってもよい助言になるのです。

 

「彼は頭の中を整理するべきだ。」

「彼は自分の恐れが自分の株を下げていることに気づくべきだ。」

「要求を分かりやすく伝えるべきだ。」

「伝える相手に恐れを感じているのならばワークをするべきだ。」

 

など。全て私にとって的確で役に立つ助言になります。

 

 

ワークをすると、このように解決策を手に入れることも出来ます。よりもっと具体的な解決策も探せます。
という訳で、私自身のクリアなコミュニケーションの為に、彼を批判し、探求してみたいと思います❤楽しみです!

 

 

さて、ワークショップとバイロン・ケイティのビデオイベントの日程が新しくなりました。

 

4/15(土)夜に先日告知していた、死に関するワークのケイティのファシリテーションを紹介しようと思っています。

バイロン・ケイティのビデオを見る会

 

そしてワークショップの新しい日程が出ました。

4月22日23日 と 5月5日6日 そして 5月16日17日 の3日程でワークショップをまた行います。

前回と同じく最大4名の小規模ワークショップです。

5月16日17日は平日開催なので、平日の方が都合の良い方は是非お越しください。

5月5日6日は個人的に、GWの最後のよい過ごし方だな~❤と思います。

 

ワークをじっくりと体験していただく、私の今までの体験を全部詰め込んでお送りするワークショップです。

4名で体験出来るのはとてもお得です。

是非いらしてください。お待ちしています。

(パチパチ!なんとクリアなコミュニケーション!)

詳細はこちらからご覧ください。↓

ワークショップ東京

 

今週は東京は桜が満開です。春がきましたね。

吉田あき

 

 


「私は大丈夫」

先日、セッションを受けてくださったSさん、その中でとても興味深いことがあったので、Sさんのご承諾を得てブログでご紹介させていただきます。ありがとうございます、Sさん。

 

Sさんは「すごく楽しいことをしていたら、お母さんにものすごく怒られた。不当な扱いを受けた。」という思いを持ち続けていた思い出がいくつかあるのですが、その中のひとつが、3歳か4歳の頃、大人用の深いプールに飛び込んで水の中を沈んでいくことが楽しかったので、お母さんに怒られても、それがどうして悪いことか全く納得がいかなかったというものでした。

 


「悪気があってやったんじゃないのに怒られた」と親に対して私たちは怒っていることがいくつかあると思うのですが、この例はそんな子供と親の行き違いをとても分かりやすく表しているように思いました。

 


 

underthewater

水の中の静かさ。光の屈折。身体が重さを感じない自由さ。覚えてますか?

Sさんによると、水の中に沈んでいく体験は、とても美しくてキラキラとしていてもうずっとここにいたいなぁと思うほどのものだったそうです。そして、3歳か4歳のSさんにとって、死というものは悪いものではなかったからか、Sさんは「私は大丈夫」だと本当に分かっていたそうです。

 

反してお母様の方は、自分の小さい子供が大人用の深いプールにゆっくりと沈んでいくのを目の前で見ているのですから半狂乱です。もうそれは怒られたそうです。お母様にとっては死はよくないものだという思いがあったと思われます。

 

子供のSさんの立場から見ると、この事件は、「楽しいことをしていたらお母さんにものすごく怒られて、ごめんなさいを強要されたひどい思い出」として残りました。「お母さんは、『私は大丈夫』なのに怒るべきではない」と思うようになりました。

お母さんの立場から見ると、「放っておいたらどんどん危険なことをしにいく我が子、今後危険な目に逢わせないためにきつく叱っておかなければ。」という思いの行動だったのではないかと思います。

 


こうやって両方の立場から見ると、どちらも悪くないことが分かりますよね。でも、私たちは悲しいかな、どちらかの立場にしか立てません。

だから、子供が、「こっちの気持ちも分からずに一方的に自分の考えを押し付けてきて、親って信じられない。私の気持ちをちっとも分かろうとしない。」という思いをもつのは普通ですし、

親が「こんなに何度も叱っているのに、ちっとも分かろうとしない。この子は死の恐怖を知らないに違いない。死がとても悪いものだということを教えなければすぐに死んでしまうだろう。子供だからまだ何も知らないのだ。」という思いを持つのも普通でしょう。

 

どちらも自分の考えを信じていて、どちらもそれに従って行動しただけ。
どちらも悪くない。どちらも正解で、どちらも間違っているとも言えますよね。

 

これを一方の立場だけを信じて、「こっちが正解なんだから、あなたは間違っている!」とやっているのが私たちですね。

 


ワークは、どちらか一方の立場からしか見えていなかった出来事を両方の立場から見れるようになる機会のように思えます。両方の立場に立てるようになる気がします。

 


 

Sさんのケースでは、Sさんは「自分は大丈夫」と思っていて、それが悪かった訳ではないのです。
ただ、お母さんは全然違う観点から見ていただけ。

お母さんは「この子は危ない」と思っていて、それが悪かった訳ではありません。
Sさんは死すら大丈夫だと思っていたので、全く観点が違っただけです。

 

同じ一つの出来事だけど、基本にあるものが違うから、すれ違っただけ。
どちらも今を一生懸命生きただけ。

 

このことに関してなんだか色々思いが浮かんできて、色々とここに書きたかったのですが、とりあえず今日はこんなところです。

 

Sさんはお母さんの気持ちが分かって、お母さんを取り戻したことがとても嬉しそうで、かつ「私、本当は溺れてたかもしれないんだぁ~!」とキラキラとまた嬉しそうに子供のような笑顔を浮かべてセッションを終えられました。

 

水の中のキラキラした感じ。私も少し思い出しました。

今度のビデオイベントで、ビデオ映像はないけれど音声があるので、水の事故で生徒を亡くしてしまった先生のワークをやりたいと思います。ふと思いつきました。

吉田あき

 


東京ワークショップのお知らせ

先日新しくなった東京ワークショップの2回目を行いました。

workshop3何が新しくなったかというと、今までよりぐっと人数を少なく最大4名限定にしたという点、そのことで私がみなさんのペアワーク中に結構な時間滞在することが出来て、なんとなーくこんな感じかなぁと流してしまいそうなワークの探求をぐっとサポートする事が出来るようになった点です。

4名になったことで、アットホームな雰囲気で、質問があるときはどんどんしてもらえるし、シェアもたっぷり、ペアワークもゆったりと出来るようになりました。

 

4名という少人数なのでワークショップの回数自体を、もっと頻繁に行う方向に変えました♪
また、参加したい方の希望に合わせて日程も相談して決められるようにしました。

ということで、とっても自由なかたちのワークショップに変わっています。

この形式になってから、今回は2回目だったのですが、なんだかとっても良い感じ❤でした。

 

みなさんからのお言葉をいただいた時、この少人数ということを楽しんでいただけたみたいで本当に嬉しかったです!

T さん
「先生」と「生徒」というような上下がなく、「一緒にワークをしている」感じがしました。

M さん
吉田さんはワークに命をかけていることが伝わってきました。

のりこさん
アットホームな感じで安心してワークをすることが出来ました。

S さん
詰まったときにすぐに聞けたのでとても良かったです❤

 

わーん。ありがとうございます。
私の方こそ、ワークに興味を持ってくださり、参加してくださったこと、勇気を持って自分の思考に問いかけてくださったことに感謝しています。オープンマインドな素晴らしいメンバーでした❤

 

今回思ったのは、皆さん一人一人ここに至るまでの背景や学んできたことなどが異なるのですが、そんなこと全く関係ないのだということです。

非二元ということばが今回出てきて、ご存知の方やそうでない方がいらっしゃいましたが、そんなこと全く知っている必要もないし、知っていればそれがすごく役にも立つしたまに邪魔にもなるし、どちらも全部OKでした。

 

参加者の方が、私がワークに命を懸けているのが伝わってきたとおっしゃってくださいました。

そんな風に捉えていなかったので、驚いたのですが、なるほどそうだなとそう聞いてからどんどんじわじわスルメのようにそのことばが私の中に沁みてきています。

 

一流の漫画家の方々の作業風景を定点カメラで撮影し、その様子を見させてもらう浦沢直樹さんの漫勉という番組があります。その番組でもう何度も見たのが、漫画家の方が1枚のページを描きあげるのにアングル、デッサン、線の太さ、顔の表情様々な細部にこだわり何度も何度も描き直し、何時間もそのシーンと向き合っている姿でした。

もうそれは、大変な集中力を必要とする作業で、読者がもしかすると飛ばし読みするかもするような漫画の1コマ1コマにそんなにそれこそ命を懸けて描いているとはと驚かされるばかりのものです。

それをでも彼らはにこやかに言うんです。「楽しいんですよね。」「絵が上手くなりたい。ただそれだけなんです。」と。
もうめちゃくちゃ楽しんでるんです。

 

私のワークもそんなところが彼らと共通するなと思いました。
楽しいのです。もうそれはもう。
自分のワークをするのも、誰かのワークを一緒に見守るのも。

毎度毎度そんな美しいものが私たちの中に隠れていたのかとその美しさに驚かされ、感銘を受けます。

どうやったら私がその人の一番奥の「直すべき」場所をみつけてそれを直せるかというテクニックに走ったことがかつて私にもありました。しかし、今はいかにワークのプロセスを信じて、どんなことがそこから出てくるのかただその流れに任せるようになりました。

「私の」行うことではなく、大げさな言い方をすると、神(宇宙?自然?大きなもの)との共同作業的な感じがします。

そうなるようになる流れに抵抗せずに私も一緒に乗ったとき、すごく芸術的なものが生まれる、ような感じです。

 

そんな風にワークを探求を日々私自身に行い続けています。
どうしてか?どうしてなのでしょうね?

ただ好きだから。そうすることがとても自然だから。
そしてこれが、これからワークを探求していく方のお手伝いをするのに役に立つことが出来るのならそんな幸いなことはないなと思います。

 

さて、もう来週末になりますが、4月1日2日にもワークショップを行います。
実はまだ空席あるのです。もしも行ってみようかなと思われていらっしゃいましたら、是非いらしてください。またゴールデンウィークの初日4月29日30日にもワークショップを企画しています。

また、これ以外にもご都合に合わせてワークショップの日程を組みますので、ご相談ください。

 

✿ 詳しくはこちら ✿


ワークは人生を変える?

「ものごとはあなた起きているのではなくて、あなたのために起きている。」とケイティは言います。

 

whoami人生の中で何か心がざわつくような出来事が起きた時、まず私の場合は一番に気がつくのは体感覚です。よく分からないけれど、ざわざわする、居心地が悪い、呼吸がしにくい、緊張しているということに一番に気がつきます。

 

次に気づくのは、怒りです。何故だかイライラ、怒りの気持ちがあふれてきます。だから自分はその人に対して怒っているのだと思い込みます。

 

過去の私だと、ここでおしまいです。

今自分が持っている情報を結びつけ、「私が居心地が悪いのは○○のせいだ!」という結論を出し、その人を頭で批判し、攻撃しながらも、その人に直談判をする訳でもなく、結局諦めて仕方ないよねと終わる。なんだか何もすっきりしない感じで終了です。

 

今は、ワークがあるので、更に一歩踏み出します。

その居心地の悪さの本当の原因、自分の考え、理解、解釈が何なのかをはっきりとさせます。その出来事が起きたところに戻り、その人に対して怒っているのは何故なのか、自分に問いかけることでそれは可能です。

「私は○○に怒っている。何故なら○○は~~をしたから。」というように自分がその感情を感じているのは、相手がどんなことをしたせいだと思っているのかをはっきりさせます。

人生において案外と、私たちはここの部分をはっきりさせていないものです。なんとなーく、誰かに対してムカついて、怒っています。

 

はっきりしていない理由に対して、相手にどうしてほしいのかもはっきりしていないのに、感情的に「理解すべきでしょう?」と押し付けたりして、自分にも相手にもあやふやな感情を押し付けるだけ。これって結構なストレスです。

 

ジャッジメント・ワークシートを書くと、自分の感情が実は怒りではないことに気づいたり、その感情の本当の理由がはっきりします。

 

さて、私は○○に対して怒っている。何故なら○○は~~をしたから。

という文章をみつけたら、4つの質問を問いかけてみます。

「○○は~~をした。」1.それは本当でしょうか?2.その考えが絶対に本当だと言い切れますか?3.その考えを信じているとどう反応しますか?何が起きますか?4.その考えがなければあなたはどうなりますか?

 

すると、そのざわっとした一瞬の出来事の中にたくさんの思考があり、感情があり、たくさんの過去を見ていて、たくさんの未来を見ていることが分かり、驚きます。

 

stillnessそしてもしもそれらが全部本当ではなかったら?

 

ワークは一瞬の中に、私たちがたくさんの過去と未来を見ていることに気づかせてくれ、そして今に戻ってくることを助けてくれます。

 

そうすると、次の時に、ちょっと意識が変わります。
次に同じようなことが起きた時、ざわざわ=怒り、そしてそれはこの人のせい!という自動変換が少しゆっくりとなり、もしかするとそうではないかもしれないことに気づいたり、意識が変わります。

 

これは人生をとても楽にします。これは私の経験です。

ワークは人生を変える?

ええ。もちろん。

 


目黒駅にニトリがやってくる!

今日新宿に行く予定があり、行った帰りに新宿高島屋にニトリがあるのを発見。

今度のワークショップに向けて、みなさまのためのクッションや、前から欲しかったもちもち枕を買ってきました~♪

楽しかった~!

 

私の実家の近くにもあるのですが、東京新宿にあるとニトリもなんだかかっこよく感じられますね。

そして衝撃だったのが、私がアメリカからえっちらおっちら持って帰ってきたスレートディッシュが1000円以下で売っていたこと!

スレートディッシュとは黒い石の平らな板をお皿として活用するものです。

黒にあざやかな赤や緑のサラダやパンを乗せてワンプレートディッシュをおしゃれに演出できます。

センスが必要ですが!(私は使いこなせてません~!)

 

流石です。

ニトリはアメリカではAKI HOMEとして店舗を出しているので、日本のものをアメリカに持っていくだけでなく、アメリカのおしゃれなものを日本に持ってくる流れが出来ているのですね。

AKI HOMEなのでアメリカに行く度に、不思議な親近感を感じます。ふふ。

 

 

何故こんなにニトリを推しているのか分かりませんが、笑、今日はニトリのお買い物が思った以上に楽しかったので、興奮冷めやらずネットでニトリを検索してしまいました。

 

すると、セッションルームのある武蔵小山駅から電車で2駅の目黒駅にこの3/15にニトリがオープンするとの情報が飛び込んできました。

数年前にクローズしてしまったアトレ1のB館がニトリになるそうです。ほぉぉ。

 

ということで、セッション帰りやワークショップ帰りにみなさんがお立ち寄りいただける楽しみが一つ増えました!

あはは。ニトリなんてどこにでもあるよ、という方は是非スルーしてください。

 

今日はほんと、どうでもいい情報。そしてとっても良い情報♪

 


置き換えが難しい?

先日ワークショップを受けてくださった方から置き換えでつまづいたとご連絡がありました。

questions多くの方から置き換えについては難しいと聞くので、例をシェアさせていただくご承諾をいただいたので、こちらでこの文章をどう置き換えたらいいのか一緒に見ていきたいと思います♪

 

お問い合わせのあった文章は 「彼女は、空気を読まずに騒がしくする」 でした。

 

自分に置き換えるのと反対の意味に置き換えるのは出来たそうなのですが、相手に対して置き換える置き換えができなかったそうです。

 

 

実際にやってみよう!

 

さぁ、ここで皆さんも一緒に考えてみてください。

みなさんでしたらこの文章をどう相手に対して置き換えますか?

ここで一旦書き出してみてください。

「彼女は、空気を読まずに騒がしくする」

→                          

 

でもいきなり相手に対して置き換えだけするのも難しいですよね。

まずは全パターン書いてみてください。

 

「彼女は、空気を読まずに騒がしくする」

自分に置き換える →                          

相手に対して置き換える →                          

反対の意味に置き換える →                          

 

※ 置き換えは1つとは限りません。色々書き出してみてください。

 

 

さあどうでしたか?皆さんは簡単に置き換えられましたか?

置き換えがスムーズにみつけられた方は、ワークをたくさんやりこなしていらっしゃる方ですね。

本当、最初は慣れが必要ですよね。

では、ちょっとてこづってますというような方に

 

 

ヒントです。

 

お問い合わせいただいた方からは、「最初の文章に、『~に』とか『~を』という部分がないからですよね。。。 やってみてわかること多かったです(^^;」というおことばをいただきましたが、

 

そうなんです。まさにその通り!元々の文章の対象が曖昧なんです。

日本語って主語や対象物を省いて書けてしまうので、そうなりがちなのです。

 

 

「どうやったら元々の文章の対象が曖昧ではなくなると思いますか?」がヒントです。

少し考えてみてください。

 

 

 

 

え?もっとヒントがほしいですか?

それでは、これはどうでしょう?

一体、あなたは「彼女が誰の空気を読まなかったこと」に怒っているのでしょうか?

周りの人の空気ですか?それともあなたの空気ですか?

 

さて、お答えはご本人にしかないので聞いてみたところ、ご本人からは「むしろ私の空気を読まなかったことが嫌だった」とご返答がありました。

 

 

それであれば、元々の文章にこのように書き加えることができますね。

「彼女は、私の空気を読まずに騒がしくする」

 

さぁ、この文章を置き換えたら、どうなりますか?

「彼女は、私の空気を読まずに騒がしくする」

自分に置き換える →                          

相手に対して置き換える →                          

反対の意味に置き換える →                          

 

 

私のみつけた置き換えはこうなりました。

 

自分への置き換え: 私は、私の空気を読まずに騒がしくする。

相手に対する置き換え: 私は、彼女の空気を読まずに騒がしくする。

反対の置き換え:

彼女は、私の空気を読まずに騒がしくしない。

彼女は、私の空気を読んで騒がしくする。

彼女は、私の空気を読まずに静かにする。

 

 

 

もしも、ご本人の元々の文章の意味が「彼女は、周りの人の空気を読まずに騒がしくする。」であった場合は、どうなると思いますか?

 

「彼女は、周りの人の空気を読まずに騒がしくする」

自分に置き換える →                          

相手に対して置き換える →                          

反対の意味に置き換える →                          

 

 

書いてみてください。

色々なパターンがあると思います。

 

 

私の場合は、こんな感じの置き換えが出てきました。

皆さんもご自分の置き換えをみつけてみてくださいね。

 

自分への置き換え: 私は、私の空気を読まずに騒がしくする。

相手に対する置き換え: 私は、周りの人の空気を読まずに騒がしくする。

私は、彼女の空気を読まずに騒がしくする。

反対の置き換え: 彼女は、周りの人の空気を読まずに騒がしくしない。

彼女は、周りの人の空気を読んで騒がしくする。

彼女は、周りの人の空気を読まずに静かにする。

 

 

と、ここまでこの文章を置き換えてみてきて気づいたたのですが、なんだかちょっと、この文章回りくどい感じがしますね。

意味がカチッと固定していないというか。

置き換えの例をみつけようとする時、元々の文章の意味が自分の中でカチッとはっきりしていないと例をみつけにくくなります。

 

 

置き換えて例がみつけにくいな~、と感じる時は、元々の文章の意味をはっきりさせてみてください。

そのみつけ方は「つまりどういう意味?」と自分に問いかけてみることです。

 

 

「彼女は空気を読まずに騒がしくする。」

つまりどういう意味?

 

 

その答えは、ご本人から後で追加でいただいたメッセージに書いてありました。

 

「このワークをし終わった後に、同じシチュエーションで、よりイライラする部分を見つけました。

『私は、彼女にイライラしている。なぜなら、彼女は、みんなにいい顔をし過ぎだから。』

『なぜなら、彼女は、その場その場で言うことがコロコロ変わるから』。」

 

つまり、この方にとって「彼女の空気を読まずに騒がしくすること」の文章の下には、

・ 彼女はみんなにいい顔し過ぎだ。

・ 彼女はその場その場で言うことがコロコロ変わる。

という意味が隠れていたのですね。

 

 

そして置き換えの例をみつける時は、元々の文章を置き換えるというより、その文章の意味を置き換えてその例をみつけていってみてください。

 

(自分への置き換え)「私はその場でみんなにいい顔し過ぎていなかったか?」

(相手に対しての置き換え)「私はその場で彼女に対していい顔し過ぎていなかったか?」

(反対の置き換え)「彼女がその場でみんなにいい顔し過ぎていなかった例をみつけられるか?」

というように。

 

 

また、自分にとって「空気を読まない」というのはどういう意味なのか?はっきりさせてみるのも役に立ちますね。

自分でも意味が曖昧な「空気を読まない」ということばがイライラの原因だとすると、なんだかもや~と良く分からない感じですよね。

「空気を読まない」ということはつまり?

・                           

・                           

・                           

なんてリストアップしてみてもいいですよね。

 

 

これを見ると、私たちの思考ってなんとな~くしか分かっていない意味なのにストレスを感じられるんだからすごいですよね。

でもね、本当は、どこかでしっかり意味を把握していてそれに対して反応しているので、なんとなく曖昧な文章はまやかしなんです。

本当は何に一番イライラしているかが現れてくるのをじっくりと時間を取って待ってあげると出てきます。

正解は自分にしか分かりません。でも現れた時、「ああこれだ!」と分かると思います。

 

 

「あ!これだ!」というのをみつけるには慣れが必要ですが、色々と試してみてください。

意味が曖昧なもや~としたものは置き換えもしにくいし、例もみつけにくいです。

 

意味がはっきりしているものは置き換えがしやすく、例もみつけやすいです。

 

 

けれども、その起きた出来事が幼少期でことばやことばの意味がまだよく確立していない場合、もや~っとした表現になるのも仕方ありません。

そのような時は、大人のあなたが「それはどういう意味なのか」よくその小さい子の意図を読み取ってあげてください。

 

 

いかがでしたか?文章で書くとなんだか難しそうですね。

ですが、頑張ってみました!

 

「正しい」答えは本当はありません。

あなたにとってその文章がどういう意味なのか?

それを自分自身にしていないか?相手にしていないか?

相手は本当はそれをしていなかったのではないか?

それをみつけることができればあなたにとっての正解です。

色々と試してみてくださいね。

 

 

お問い合わせいただくと自分でも色々勉強になって良いですね!

お問い合わせいただいて感謝です❤ありがとうございます。

 

 

それではまた~♪

Happy The Work Life!

吉田あき