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自分を秘かに罰しても意味はない

自分を秘かに罰しても意味はない

こんにちは。今日は私自身のワークセッションの体験を書こうと思います。

私は、自信たっぷりに自分のことを話す人と一緒にいると、その人が言っていること、やっていることが正しくて、自分はその人と同じことをしなければいけない気がしてきて、自分を責めて落ち込むことが昔からよくあります。

そうなると、自分を見失い、苦しくなります。

これは、私が繊細すぎて人との境界がなくなりがちだからかな、そう思っていたのですが、ふと先日これを問いかけの題材にしてみようと思いました。

私が問いかけた私の思考は、「彼女は私より正しい。」というものでした。

その思考を問いかけていくと、質問3番の「その考えを信じているとどうなりますか?どう反応しますか?」で、「私は怠け者だと感じる」という反応が出てきました。

「彼女はこんなに色々とやっているのに、私はそれをひとつもせずにいて、なんて私は怠け者なんだ。」と自分を責めているのです。

 

「私は怠け者だ」という感覚に意識を向けていくと、小さい頃の記憶が出てきました。

8歳頃、同級生が4歳からバレエを習っていたことと「小さい頃から始めなければバレリーナにはなれない」ということを知り、「ああ、私は遅すぎた。もう間に合わないんだ。」と強烈に感じた切なさ。

その「ああ、もう遅すぎる。」の感じがあまりに強かったので、それにつられてある強烈な記憶が呼び起こされました。

閻魔様の記憶でした。

今までずっと忘れていたのですが、小さい頃私はずっと自分の罪を数えて生きていました。

その罪とは、親に嘘をついたとかそんな程度の罪なのですが、私は自分の罪が5つもあることを強烈に悔やんでいて、「もうこんなに罪を重ねてしまったから、死んだとき、天国の門で閻魔帳を調べられて、私は絶対に地獄に行くんだ。」と秘かに脅えて暮らしていました。

「ああ、もう遅すぎる」は、このとき感じた痛みでした。

「天国に行くには、もう手遅れだ。私は人生のこんなに最初に罪を犯してしまったから。幸せな人生を送るには、もう遅すぎる。」5歳の私は、そう強烈に信じていたことを思い出しました。

 

それは、何年にも渡る孤独な日々の始まりでした。毎晩毎晩、怖くて1人で震えていました。自分の罪を母親に打ち明けるのも怖くて、ずっと1人で脅えていたのです。

「どうか、神様許してください。どうか、どうか許してください。」

いつの間にか、そのことを忘れていたのですが、セッション中にその記憶が強烈に蘇り、あの時の絶望の日々を思い出しました。

あの時、私は決めたのです。

「これからの人生、ずっと私は自分の罪を悔い、自分を責めて生きていこう。そうすれば、神様に許してもらえるかもしれない。そうしたら地獄に落ちないですむかもしれない。」と。

 

そうして、この人生ずっと自分を罰して生きていくことにしたのでしょう。

すっかり忘れていたけれど、大人になっても私の自責の癖が抜けなかったのは、この頃の強烈な罪の意識、恥の意識が原因だったのかもしれないと、このセッションのときに気づきました。

 

そして、大人になった今振り返ると、私のその決断はなんと間違いだらけで役に立たないものであったことかと分かりました。

 

そこで、私は新しい決断をすることにしました。

「私は、私を許し、受け入れ、愛し、幸せにする。悪いことをしたならそれを隠さず認め、責任を取り、そしてこの胸の痛みを糧に、もう二度と同じことをしないようにしよう。けれど、私は私を許し、受け入れ、愛し、幸せにする。何があっても、絶対に。」

 

そうやって、5歳の私を膝に抱えて抱きしめて、「もう隠れて自分を責めなくていいんだよ。謝ってスッキリして、そしてちゃんと許されていいんだよ」と自分を許してあげました。

不思議なセッションでした。

「彼女は私より正しい」は5歳の頃の「罪人である私はもう許されることはない。天国に行くには(幸せになるには)手遅れで、唯一の幸せになる方法は自分を罰し続けることだ」という思考から来ていました。私以外の全ての人は正しくて、罪人である私は間違っていると信じたからです。

 

もし、その考えを信じなければ、私はすっかり自由でした。

罪を認め、自分を許し、幸せになることを受け入れ、これから何を始めるのにも遅すぎることはないとはっきりと感じることが出来ました。

 

 

おきかえのひとつに「私は、私の思考よりも正しい」というものが出てきました。

(おきかえとは、元々の思考を様々なかたちで反対にすることです。)

 

私の思考は、「私は悪い子だから一生罰し続けなければ幸せになれない」と言っていました。

私は、それが間違っていることを知っています。

「たとえ罪を犯した悪い子であっても、一生自分を責め続けて許さずにいることは、その子を幸せにしないばかりか、周りにも何も良いことはない。

神様は自分の中にいる。罪を犯したときの胸の痛さ。誰も知らなくても自分だけは知っている罪。

 

それを隠して抱えて生きていくのではなく、きちんと謝り、責任を取り、そして自分を許して新しく生きて行っていいのだと私は知っている。

 

だからこれからは、自分が何か悪いことをしたと思ったら隠さず、認め、責任を取り、そして自分を許して生きていこう。その方が、罪の意識に囚われて、一生を自責の監獄で過ごすよりずっと良い。」

そう分かっている私の方が、「悪いことをした私は誰にも言わずに隠しておいて秘かに自分を責めて苦しんだ方が良い」という思考より、ずっと正しい気がしました。

 

バイロン・ケイティのワークをしていると、時々、思ってもいなかったところに自分の思考の発生源をみつけます。

そして、自分がその思考を信じるしかなかった理由をみつけ、理解してあげると、思考は自分から私の元を離れていきます。

 

私は、自分以外のものにならなくていい。他の人がどんなにうまくやっているように見えても、私の生き方が、私にとって正しい生き方。

それがはっきりと分かり、ほっとしたセッションでした。

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