
ひとりになるということ
NHKの朝ドラで、喜美子がとうとうひとりになってしまいました。
(見ていない人はすみません。)
これまで、両親に二人の妹がいて、それから結婚をして子供が生まれて、お父さんが亡くなっても、離婚をしても、お母さんと子供が一緒にいた、そんな当たり前に周りに人がいる生活から、子供が大学に行き、お母さんが亡くなると、突然ひとりになってしまう。
今までたくさん人がいて賑やかだった同じ家で、ひとり、ご飯を食べながら「ひとりのご飯にも慣れました。」というナレーション。そのシーンが出てきた時、その孤独に共鳴し、泣きたくなりました。
離婚をしたばかりの頃、急にひとりになった寂しさに、それでも何もできないことにもがきながらも、少しずつ慣れていったあの日々を思い出しました。
あの時、私の頭にあったのは羨ましさでした。
「いいなぁ、あの家は普通に夫婦でいて、子供がいて、楽しそうに週末の外食に出かけてきている。いいなぁ。」
そうやって商店街を歩く親子連れを羨ましく見ていたものでした。
でも、喜美子のひとりのシーンを見ていたら、これは誰にでも起こり得ることなんだなと思いました。
いくら離婚をせずに子供がいても、いずれ子は独立し、パートナーも先に旅立つかもしれない。
誰にでも、ひとりきりになる可能性はある。
「私だけ」かわいそう、と思っていたけれど、それは本当じゃありませんでした。


私がもしも幸運なのだとしたならば、ひとりを味わえるようになったことです。
ひとりでも、誰とも話さなくても、孤独で死ぬことはないことを学び、寂しいからという理由だけで、無理やりに人とつながらなくてもいいことを経験しました。
孤独の中には楽しみもあり、自由もあり、よろこびもあることを体験しました。
そして人とつながりたい時には、誰でもいいわけじゃないことも経験しました。
その上で、つながりたい人とはつながれることも経験しました。
ひとりは孤独。
孤独は寂しい。
寂しい私は恥ずかしい。
恥ずかしい私は、消えてしまいたい。
ひとつひとつ、問いかけてみると、すべて本当じゃないことがわかります。
ひとりがずっと怖かった私は、ひとりが大丈夫になり、本当に大切な人とつながる自由を得ました。
もしも、あなたがひとりになったとしたら、あなたにもギフトが用意されています。
すべての出来事は、あなたのために起きているのですから。
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