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断ることの罪悪感

断ることの罪悪感

ここ数日、たくさんのNoを言う機会を与えられました。

もちろん、Yesを言う機会でもあったのですが、私の答えはYesではなかったので

Noと言いました。

 

Noというとき、私の中にはたくさんの抵抗がありました。

「こんなこと言ったら冷たい人だと思われる。」

「相手の気分を害してしまう。」

「嫌われてしまう。」

これまで培ってきた、たくさんの私を守る思考たちです。

 

でも、これまで何度となく同じような思考を「それは本当なのか」と問いかけてきた私。

それらの思考が出てきたけれど、もうそれを100パーセント真実だと信じていない自分もいるんです。

 

「冷たい人だと思われてしまう。」という声が聞こえてきても、

うん。そうだね。その可能性はあるね。

そして、それで何の問題もないよね。その人がそう思ったとして、それを変える必要は私にはないよね。私のNoを私の為に、その人が好きになる必要はない。

 

と、別の声が私の中で聞こえてきて。

 

うん、断ろうと決断。

 

でも、いざ、そのメッセージを送ろうとするとものすごい罪悪感。

送った後も罪悪感。

身体中で「なんてことをしたんだぁ~」と私に訴えてくる感じを感じます。

それでも、私はその罪悪感に飲み込まれずに、

ともすれば相手の気持ちを想像して苦しい思考に飲み込まれがちな私に気づきながら、

それでも自分が大丈夫なことを感じていました。

 

それは、「あああ、なんてことをしてしまったんだぁ~!!!!」と責めながら感じるというのではなくて。

 

罪悪感はそこにある。

だけど、一体化せずに一緒にいる、

そんな感じでした。

 

 

もしも、たくさんの問いかけをしてきたのに、まだ怖い、まだNoと言えない、

そう思っているのなら、罪悪感を感じなくなることをゴールとせずに、

罪悪感を感じるけれども、Noと言う、

そんなときなのかもしれません。

共に進みましょう!

ノーと言うとき
境界線を引くとき
君は罪悪感を感じるかもしれない

素晴らしい!罪悪感を感じよう!
そして、それでもノーと言おう
それでも境界線を引こう
それでも君の心からの真実を話そう

罪悪感を感じることはそんなに悪いものじゃない
興味深く気づきをもって
その経験に浸りきるとき
「罪悪感を感じている存在」を抱きしめて
彼女にスペースをあげよう
不快感に息を吹き込み
彼女に「嫌な」感じを少しの間感じさせてあげよう

そして、それでもノーと言おう
それでも境界線を引こう
それでも君の心からの真実を話そう

君は時々、罪悪感の痛みを感じないためにイエスと言うよね?
痛みを避けるために自分の境界線を無視することもある
でも痛みは耐えられる
君は乗り切ることができる
罪悪感は波のように満ちることがある 時々
そして引いていく そしてまた満ちてくる たぶん
そしていつか去っていく

でも君は自分に正直であれどんなときも
君の道を 心の声に従って

罪悪感は君のやさしい友だち
罪悪感は君の愛を求める傷ついたこども
罪悪感は道を共に進む仲間

君はもう罪悪感にコントロールされることはない
もし君がよろこんで
罪悪感を感じるのなら

~ジェフ・フォスター

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