もしも浮気をされたなら その3
「浮気をされた」私とは?
今回このシリーズでブログを書いていて何度も、浮気を「された」って書いたのですが、自分で書いていながらそれに対して違和感を感じていました。
ここからは、心のお話上級者向けになってしまうかと思うのですが、このブログを読んでくださっている方はそういう方だろうと思うので、あえて書いてしまいますね。
何故、その表現に違和感を感じるかというと、この言い方では相手に自分を傷つける力を与えてしまっているからです。
浮気を「された」人って、叩「かれた」人とか、いじめ「られた」人と同じで、何かを「されて」そのせいでひどい目にあったかわいそうな人というエネルギーが出ていることばですよね。
でも、旦那さんが浮気をした。だから、私は悲しい。
というのは、本当の心の動きの説明としては正しくありません。
旦那さんが浮気をした。 → それは嫌なことだ、悪いことだという意味づけを私がした。 → だから、私は悲しい。
が本当の心の動きです。
旦那さんが浮気をした時に、「私は愛されていない」「私は裏切られた」「私は甘く見られた」「私は騙されていた」「私は軽く見られていた」「私は結局誰からも愛されない」「浮気は心の殺人だ」などという思考が気付かないうちに自分の頭の中で発動し、それを信じてしまいます。
だから、苦しくなるのです。だから悲しくなるのです。だから腹立たしいのです。
そんな達観した人は少ないですが、もしも旦那さんが浮気をしても自分の価値とは全く関係ないと思えていれば、全く傷つくことはありません。
傷つかないけれども、それでいいと思うかはまた別で、全く自分の価値は下がらないし、苦しくはないけれども、今後何度もこのようなことを起こすのであれば、結婚という契約は終わりにしましょう、という決断を下すこともあるかもしれません。
樹木希林さんは、逆に浮気があったとしても絶対に別れないという決断を下されていましたね。
こういう時の私たちは、とてもクリアです。やりたいことが明確で迷いがありません。何故なら外側の何にも自分の価値を決めさせていないから。「あの人がこうしたのはきっとこういう思いからだろう。」というように、相手の行動の意味を読んでそれによって自分の行動を変えたりしないから。
自分の頭の中の思考に振り回されずにいる状態です。これが常に出来るようになると、すごく楽です。今後もその方法、そのヒントを皆さんにシェアしていきたいと思っています。
浮気を「された」と信じている時に何が起きているのかというと、過去の傷がえぐられているんですよということを書いたと思います。
だから、もちろんその傷の手当ては必要です。
そこが泣き騒いでいるのに「泣くな!」というのは暴力です。
だから、そこのケアはきちんとしましょう。心の声を聞きましょう。
だけれども、いつまでも浮気を「された」私というところに留まっているのは、もったいない。
あなたは、それ以上の人間です。
心の傷を癒してあげて、そしてあなたという人間を「浮気をされた女」というアイデンティティから切り離して、キラキラと生きていきましょう!
あなたは浮気を「された」女性、それは本当ですか?
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