感情と肉体的痛みを伴うワーク
よく、「ワークは頭でやるんですか?」「ことば遊びですよね?」「ネガティブじゃなくてポジティブなことに目を向けるポジティブシンキングのようなものですよね?」と誤解されます。
そんなことないんだけどなぁ。
と思うので先日のセッションをシェアします。
痛みを感じ切る
これは私自身のセッションです。
私は、ある状況に面した時に胸に本当に強い痛みを感じるほど、その出来事に反応していました。(本当は、その出来事に関する私の思考に反応していたのですが。)
とにかく実際に胸が痛くてたまらないと言った私に、ファシリテーターは「ジャッジメント・ワークシートの6番の文を思い出してみて。君はこの状況で何を一番体験したくないの?」と聞きました。「私は二度と○○といった痛みを感じたくない…とか。」
「もう二度と、置いていかれる痛みを感じたくない。」
「OK。それは本当?もう二度と置いていかれる痛みを感じたくない。それは本当?」
私「はい。」
F(ファシリテーター)「その考えが絶対に本当だと言い切れる?」
私「はい。」
F「そう信じていると、どう反応する?胸の痛みを感じているとき、この痛みを二度と感じたくないと信じているとどう反応する?」
私「感じたくない。逃げたい。嫌。」
F「どうして?感じるとどうなると思うの?何を恐れている?」
私「この胸の痛みを感じると痛すぎて死んでしまうかもしれない。怖い。」
F「今、君は僕とともにいて安心だよ。この場で試してみない?本当に死んでしまうか。」
私「…分かった。」
このようにこの痛みを感じることが始まりました。
肉体的に痛いし、怖い
痛みを伴う感情は、人は出来ればもっとも感じたくないものです。
それを感じないですむのなら、正になんでもします。
自分を傷つけまくっても、人を傷つけまくっても、現実から逃避しても、自分を価値のないとんでもない人間だと思うことになったとしても、この痛みを感じることよりはマシ。それくらい人は、強く痛みを伴う感情を感じたくありません。
それが現れそうになると、色々な理由をつけて、絶対にそれを感じないようにするものです。
例えば、小さい頃に拒絶の傷を受けた人。また拒絶されることが怖くて1人の人に自分自身をコミットしきれない。不安になったパートナーに、どうしてそんなに自分をみつめてくれないのかと問い詰められると、あの拒絶の傷が痛みを伴ってやってくる。絶対に、絶対に感じたくない恐怖の傷。
その傷を感じるくらいなら死んだ方がまし。
逃げる。人間関係は面倒くさい。
コミットメント・フォビアはそんな恐怖から来る。
これほど、痛みを伴う感情と向き合うのは怖いということを踏まえた上で、先ほどのセッションに戻りましょう。
私:(痛みを感じている。長い沈黙。)
F:(その痛みと向き合うことがどれほど怖いことか理解して待つ。理解。そして静寂。)
私:(長い、長い、感じるプロセスの中、感じる抵抗。恐怖。痛み。)
F:(理解して待つ。共感。そして受け入れ。)
これをしばらくずっと続けていました。
そして
長い長い痛みの後に、痛みを感じることが怖くないことが実感できて、そして私はため息をつきました。
こういうセッションの時に出るため息は、何かが出ていく感じを肉体レベルで感じます。はぁっ。と大きな痛みの塊が出ていきました。
でも、それは出て行ったのか、私と一体化したのか、それは分かりません。
私が感じたのは、安堵の思いでした。
もう逃げなくていい
自分が一番感じたくないと思っていることが、自分の中にあるのが人間。
そしてそれから逃げまくっている。
逃げなくてもよくなるためには、飛びこまなくてはいけない。
それはとても怖いし、勇気がいることです。
でも、私たちは自分から逃げることは出来ないんです。
逃げなくてもいいのだと分かる日が来ることを、手伝います。
2/3(日)13:30~16:30
バイロン・ケイティのワークのこと話したり、こんな気付きを話す会を武蔵小山で行います。
詳細は追ってまたこのウェブページで近日中にお知らせします。
Open Your Mind, Open Your Heart
吉田あき
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